自分なりの“友達定義”を決めておく

まずは自分だけの友達定義を作っておきたいもの。社会人になってから休暇を一緒に過ごすような関係性ができても、突然「友達」と判断していいものかわからない。SNSや、誰かに紹介するときにも「友達と言っていいものだろうか?」と表現に迷う。特に仕事を通じて出会った関係性は、友情を深めるにも慎重になるはず。そんなときに友達定義があると、とても楽だ。あくまでも私の中での基準だが、参考にしてほしい。

まずは「この人の葬式にいくのか、来て欲しいのか」

のっけから辛気臭いけれど、年齢差に関わらずのお話。もっと言うと、友達だと思っている人の両親や家族の訃報には、せめてお花だけでも出す。この行動が迷うことなくできたら、自分が心地よい友情を築けているのだと思う。

先日、幼馴染の父親が亡くなった。以前から病気を患っていたので、予兆はあったものの、それでもある日、突然のこと。すぐに仲間(計5人)内でグループLINEを回す。

「お香典、いくらにする?」

「私はお通夜も葬式も出る」

「お花の手配をするわ」

皆が迷いなく動いていた。仲間内で親を失うのは初めてのこと。流れるタイムラインを見つつ、不謹慎ながらこれが友情だと、私は感じていた。そのまま新幹線に乗ってご葬儀にも参列した。東京に住んでいると「血縁でもないのに、お葬式に行くの?」と聞かれることがある。ただこれこそ、友情、愛情の濃度差だ。ちなみにご葬儀が終わってから友達と「今後、親族のご葬儀は何回もあるけれど、行ける範囲としよう」と、まだ未定の葬儀の作戦会議を開いたことも、ひとつの思い出だ。