「実はですね、境内を掃除していて腰が疲れたので座りたかったのですよ」
「それは気がつきませんで……」
「煙草(たばこ)、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
 大木は紙巻き煙草を取りだし、火を付けた。今流行(はや)りの電子タバコではない。
 うまそうに煙を吐き出すと、大木は言った。
「昨今は、煙草も吸いにくくなりましたね。私のような年寄りにとっては、だんだん住みにくい世の中になっていきます。あなた、煙草は?」
「吸いません」
 ガキの頃には粋がって吸っていたが、いつの間にか止めていた。禁煙に苦労した記憶はない。
「煙草が毒だってことは百も承知ですよ。でもね、だからこそ吸いたくなるんです。糖尿の気のある人には甘い物は毒だ。でも食べたい」
「はあ……」
「テキヤだってそうだと思うんです。多少毒があるから人が集まってくるんだって。露店商のいない祭は、味気なくていけません」
「しかし、彼らを祭に呼び戻すことはできないのですね?」
「できないでしょうね。世の中の流れがそうなってますから……。なんかね、みんなの目がつり上がっているような気がするんです」
「目がつり上がっている……?」
「神経質でぴりぴりしている。ちょっとしたことで騒ぎ立てる。そんなことで目くじら立てるなよと言いたくなります。世知辛い世の中になったもんです」
「世知辛いと言えば、お賽銭を銀行に預けるのに、手数料を取られるんだそうですね」
「ええ。預け入れる硬貨の枚数によって手数料が決まっています。例えば、ある銀行では百一枚から五百枚までが五百五十円、五百一枚から千枚までが千三百二十円です。ですから、すべて一円玉だとしたら赤字になります」
「赤字ですか……」
「まあ、実際にはすべて一円玉ということはあり得ませんので赤字ということはありませんが」
「神社もたいへんですね……」
「うちはまだいいほうです。近くに寺があるんですが、お寺さんはもっと大変みたいですよ」
「そうなんですか?」
「無縁墓が増えて、どうしていいかわからないらしい」
「無縁墓ですか……」
「縁者が亡くなったり、地元を離れたりで、墓守する人がいなくなるんですね。それで、墓を放置するわけです」
「へえ……」
「年々檀家も減っているようですし……」
「なるほど……」
「その寺の住職は困り果てておられる」
「この近くとおっしゃいましたね」
「ええ。歩いて十分か十五分くらいでしょう」
「何という寺です?」
「西量寺(さいりょうじ)です。地図を書きましょうか?」
「あ、いえ……。スマホの地図アプリで何とかなると思います」
「へえ、あなたも今どきですなあ……」
 

 

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