注意は成長を期待されているから

自分が管理職や上長という立場でないなら、一度このような結果となった以上、以降はその相手とは関わらないことが仕事をスムーズに進めるための幸せの道と言えるでしょう。私だったら、上司に自分の配置転換や異動をお願いするかもしれません。「互いの業務が滞らないよう、あの人とは離れた場所で仕事をさせてもらえませんか」と。業務が効率よく回るように社員を配置するのも会社の役目です。受け入れてもらえないようなら、最終的には職場を替えることも考えるでしょう。

今は、難しい時代になりました。もちろん暴力を振るったり、罵倒したり、人格を否定するような言い方は論外ですが、仲間の成長を促すため、業務改善のためによかれと思って伝えたことが、その内容より言葉の使い方うんぬんでパワハラだと受け止められてしまうのですから。

(イラスト◎大野舞)

無用なトラブルを生まないためには、個を貫いて仕事に専念するのも致し方ないのかもしれません。仮に「あの人、会社に親しい人はいないのかしら。いつも一人で黙々と仕事しているよね」と陰で言われても、それはむしろ褒め言葉と受け取っていいでしょう。

ただし、もしあなたが逆の立場で、誰かから何か注意されたなら、こう考えてみてください。たとえそれが自分にとって耳の痛い内容でも、言ってくれるのは自分への愛情からです。愛の反対は無関心ですから、何も言われなくなったら、もはや相手にとって自分は透明人間と同じ。昔から「言われるうちが花」などと言うように、注意されるのは成長を期待されているからであり、ありがたいこととして素直に受け止めましょう。