左:『たんぽぽ』(書籍・1984年/金の星社)
右:『あしながばち』(『かがくのとも』75年6月号、書籍・83年/福音館書店)

「筆一本で飯を食っていこう」と決意して

ところが私が23歳の時、先生が急に亡くなられてしまいます。私はまわりの勧めで上京し、慶應義塾大学医学部の精神神経科に教授秘書として勤めることになりました。そこで看護婦さんたちの働きを見るうちに、「専門職をもたないと、ものの本質が見えなくなる」と思うようになったのです。

秘書として働きながらも、洋画研究所で絵の勉強は続けていましたが、次第に「生活の垢」を身につけてしまうようになったんですね。職場でうまく立ち回ることを覚えたり、いろいろな苦労を財産だと思ったりして、「ものが見えた」気になってしまう。でも、それはの本質ではないと思ったの。私、ものが見たかったんです。実態はなんだろう、ってね。

それで32歳の時に、「筆一本で飯を食っていこう」と決意して、秘書の仕事を辞めました。童画家の鈴木寿雄先生について童画を学び始めたのもこの頃です。「絵本描き」を始めたのは40歳ぐらい。美術の世界には食えなくても頑張る画家さんがいて、ああいう人は偉いなあって思うけど、私はごく単純に、筆で飯を食いたいと思ったんです。それで「絵本なら食えるかな」と。不純極まる出発です。

でも私、絵の勉強はしたけれど、絵本を学んだわけじゃないから、最初は全然食えませんでしたね。