高校時代の心に残る金言

うんうん唸って頑張っても乗り越えられるだろうかという問題に息子達がぶち当たるたび、子どもの力ではどうすることもできないんじゃないかと、わりと早めに観念するわたしは、どうにかこの母が救いの手を差し伸べて彼らを救ってやれないか、と考える。
でもそんな力がどこから湧いてくるのか、自分でもよくわからない。

自分の指先から蜘蛛の糸がシャー!と出てくるんじゃないかと、じっと手を見て待っている子ども(スパイダーマンにハマった時期の息子たちみんなそうだった)と、さして変わらない心境である。

でもそれ、いらぬ世話なのかもしれない。
彼ら自身が自力で乗り越えられなければ、ずっとそこから進むことができないからだ。

わたしは福岡の女子高を卒業したのだが、3年間の女子教育で今も心に残っているのは、国語の先生から言われた「青竹を踏みなさい」(どんな場面でそう言われたのかも覚えていない)と、もう一つは50代くらいの英語の先生から教わった、

「子どもは手をかければかけるほど、手のかかる子になってしまいます」という言葉だ。

バンドの追っかけに夢中で東京に出る事をひたすら夢見る女子高生には、人生におけるあまりの金言にして、何のことだかさっぱり分からなかった。

結婚してしばらく子どもがいなかった間に、急にその言葉を思い出したのは「夫」に対してだった。それはなぜだろう。
「手をかければかけるほど、手のかかる夫ができる。」いや、まさに!!

つまるところ、人は人の手を借りてしまえばしまうほど、人に頼らないといられなくなるということだろうか。たしかに。