見守ることしかできない

顎が外れるくらい苦しかった新人アナ研修の時より、さらにさらに苦しい修行がこんなところに待っていたとは…。

母もここは指先から糸を出すような思いで、「突然スラスラできちゃうワタシ」を夢見て練習するしかない。はぁ…、だれかコツをご存知でないでしょうか?

たいがいのことは、でもワタシ大丈夫!そう念じて乗り越えられる気がするのは、それがきっと自分のことで、そう思うことで自分自身が楽になれるおまじないのような言葉だからだ。

でも今、息子達がそれぞれぶち当たる現実に対して、ワタシが手を添えてやることも、上から手を引っ張ってあげることも、お尻を押して上げるてやることもできないことが多くなってきたと感じる。

その多くは、自分の思いや期待通りにならなかった時だ。大きな夢を描いて全力疾走していたときは想像もできなかった、とてつもない敗北感や劣等感、失意など…。外からはなかなか癒やすことができない自分の感情をどうにか収めて、一歩また前に進むために、自らその勇気を振り絞るほかはない。「励ます」「寄り添う」というお薬さえも効きづらい状況が起こり始めたのだ。

「母力」でも守ってやることのできない、彼自身の苦しい自分との戦いを見守ることしかできないことが多くなった気がしている。
これが、子どもが大きくなるということなのかな、とも思う。

父の母校・上宮との対戦。こんなことができたのも、大阪に行ったから