『イニシェリン島の精霊』

カップルというものは異性同士で作られるものでもありません。男と男、女と女、かつてニール・サイモン原作・脚本で『おかしな二人』(1968)という映画もありました。原題は『The Odd Couple』。妻に逃げられた傷心の男と逃げられても図太く生きている雑な男を描いた作品で、ジャック・レモンとウォルター・マッソーがイキイキと演じている名作です。この『イニシェリン島の精霊』は、アイルランドの『おかしな二人」、恋愛感情ではなく友情で結びついた男同士のカップルの破局を描いた悲喜劇です。監督は映画『スリー・ビルボード』で数々の映画賞に輝いたマーティン・マクドナー。

1923年のアイルランドの孤島が舞台。気丈な妹と二人暮らしのパードリックと独り者のコルムはパブで時間を過ごし、会えば冗談を交わし合う仲でした。ところが突然、パードリックはコルムに絶交を言い渡されてしまいます。絶交されたパードリックは嫌われる心当たりがない。何度もコルムに理由を尋ねますが、「これ以上関わると指を切り落とす」と宣言される。ジョークと思っていたら、本当に指を切ったから事態は穏やかな寒村を巻き込んで深刻になるという話。

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映画が進むと、コルムは面白いパードリックと冗談ばかり、馬鹿な話ばかりして時間を無駄に過ごしてきたことを後悔していることがわかります。映画では直裁的に触れることはしませんが、島の向こうから砲声が聞こえることと無関係ではないでしょう。不気味に轟く大砲の音は、独立を巡って起きた1922年のアイルランド内戦が原因。パードリックとコルムが揉めている最中は主要都市の戦闘から血で血を洗うゲリラ戦に移行した頃です。

そんな異常時に牧歌的に生きていけないとコルムは思い、自分の仕事を残すため作曲に打ち込みます。その全体図を受け入れられず、あくまで自分自身でありたいパードリックは周辺をざわつかせ、コルムも指を次々と切り落とすのです。さらには友人を不慮の事故で失い、妹もダブリンへ去る。序盤のコメディ展開から徐々に悲劇へ変化していきます。

この映画はおかしくも悲しい寓話です。ロシアのウクライナ侵攻、ガザ地区で展開されている虐殺、世界各地の諍いが馬鹿な日常を続けていいのかという思いと日常だって大事だよという分断をも引き起こす。決して描かれないアイルランド内戦は、この孤島のカップルの不協和音の原因なのにタブーのように映画では触れないのです。社会事象の描かれなさと、パードリック&コルム、そして島民の人間模様の壊れ方は、私たちの社会の縮図だろうと感じることでしょう。

その救われなさ加減はまさに「現在」を感じることに有効であり、加えて映画の舞台の時代も同じであり、そのまた過去も別の地域でも変わらない救われなさなのだということを知らしめるのです。そこで私たちは何を考え、どうすべきか。非常に普遍的でアクチュアルな問いを発する映画、そして何とかコメディとして描き切ろうという姿勢に『イニシェリン島の精霊』の素晴らしさがあります。