2023年という年を象徴しているような映画

この崩壊劇、各事件がシームレスに起き、ハイクラスに位置する人間が面白いようにキャリアを失っていきます。それがクライマックスのコンサート場面の痛烈な、ぶっ壊れたケイト・ブランシェット渾身の一撃に至ると、ブラック・コメディにも受け取れる面白さとして炸裂します。

が、凡百の映画ならばコンサートで終幕となるはずですが、『TAR/ター』は更に続きます。キャリアを失った彼女は有名楽団のポストではなく、ドサ回りをエージェントに勧められる。故郷に帰ると自分がキャリアを掴むために封印してきた少女時代や、不幸だったろう自らの家庭生活、別れた兄などと再会する。

素晴らしいのは渾身の一撃の身振りや養女を守った彼女の強さはアッパーミドルクラスの育ちではなく、下層階層の育ちで身につけたタフさだったことに気付かされ、なおかつ、昔から音楽を愛し、その愛によって身を立てていったことが理解できる演出になっていることです。

等身大の自分を確認し終えたターは東南アジアで指揮するために旅立ちます。そこではマエストロとしての待遇にはならず、売春宿に案内されるなど、これでもかという転落と自らの境遇の外にある差別、貧困を突きつけられる。そして、大ラスで彼女が指揮する曲は――。

はじめにも書きましたが、この映画はキャンセルカルチャーを下地にした転落劇です。そのいっぽうで、20世紀的(男女雇用機会均等法に代表される施策によって)キャリアウーマンの辛さも描いています。20世紀は女性が男性化することでキャリアを積んだ時代とも言えます(だからこそマッチョなターがカッコよくも見える)。

それが今や倫理的に受け容れられない時代になり、多様化と同時に保守的な考えや振る舞いがSNS社会によって分断され、どのような在り方ならば成功できるか不透明になったことも描ききっているのです。その意味で2023年という年を象徴しているような映画でもあります。