愛が主題の恋愛映画として存分に楽しめる

ヘジュンとソレは完全なプラトニック・ラブで展開します。捜査官と容疑者ですから倫理的には当然ですが、前にちらっと書いた『氷の微笑』は一線を越えています。これに限らず基本、追う者・追われる者が恋をして肉体関係を結ぶ映画は多いはずなのに、『別れる決心』は越えません。

ヘジュンは妻と、ソレは夫と交わるのですが、二人は頑なにプラトニック・ラブを貫く。成就しない愛を享受する、焦がれているのに最後までは辿り着かないジリジリ感を弄んでいるようで、純愛よりタチが悪い恋愛ゲームに没入しているようです。

ソレをヘジュンは逮捕出来ず、そのミスによって海に面した警察署に飛ばされてしまいます。活力もないヘジュンになってしまうあたりは、男をダメにするファム・ファタル物語の定石です。が、転勤先で資産家殺しが発生。被害者の妻がソレとそっくりの女だったという急展開になります。

愛した女を再び追えるヘジュンは生気を取り戻し、女がソレであることを立証しようとするのです。ソレもまたヘジュンを犯罪によって取り返そうとする。喪った女性にそっくりな女性を喪った彼女そのままに再現し愛そうとする、ヒッチコック『めまい』(1958)のような倒錯した行為をヘジュンとソレは始めるのです。

国籍、社会的階層、性、捜査官と容疑者といった違いを越えた、互いの倒錯的純愛を共有する在り方。多様性とともに享受することを現代で勧められる“共生”がここにあるとも言えます。そのコアは愛に他ならない。国や政治、性差の違いを乗り越える映画として『クライング・ゲーム』(1992)という傑作がありました。その公開の惹句は「切り札は“愛”」でした。『別れる決心』もまさに愛が主題の恋愛映画として存分に楽しめる映画です。