私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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3 ダユカ
 
 木材から釘を引き抜き、扉だったものをゴミにしていく、さっきもゴミと言えば言えるくらいの扉だったけど。文化祭は終わり片付けだけが残っている、怪我をするかもしれない作業なので集中してやる。小田さんの釘抜き早、という誰かの声に片手だけ挙げる、自分の怪我は、最終自分しか責任を取れない。木材を足で固定し、さっきまでダンスの場の中心にあった開く扉、どういう風にも使えて、色んな意味や役割を持たせられていた扉だったのを回収場に持っていく。木材は使えそうな大きさ長さのだけ先生が選り分けて、来年また誰かが使う。色は塗り重ねられ穴は増え、釘はどんどん打ちにくくなる。回収の時、怪我したくなさそうに触る先生と、怪我など恐れない、怪我することなど考えてもいない触り方の先生どちらもいる。
 かさばり教室の後方を占拠していた大道具小道具がとりあえずなくなり、私たちは久しぶりの、腹と背の間にできたゆとりを楽しむ。本当に、体ごと後ろは向けないくらいだったから、みんな頭だけ動かしていたから。担任が職員室から戻ってくるまでの暇な時間で、後ろの席のシイシイと喋る。シイシイの顔は私のなりたい顔で、眉毛はそんなに剃らずに上まぶたにも少し生えてるのか、唇はいい形、どうにも口では言い表せない形、笑えばいい具合に上がる口角、いい具合に膨らむ頬、ただいいバランス、いいバランスというのは言葉では表せない、どのパーツも主張し過ぎないということか、全てパーツの癖を消していけばいいのかと思いながら、できるだけそこから多くを発見しながら眺める。
 ポーチの中身を参考にしたく、シイシイのをこちらに引き寄せる。「ポーチ見してね」「あんまメンツ変わってないよ別に。でもリップは増えたかも。これ結構落ちない」「落ちにくいんだよね、何か誰かモデルか使ってたよね」「同性のモデルとかアイドル見る気になんない、イライラしちゃう、私はこんななのにって」「シイシイでもそんなこと思うんだ」「だから街とかでも目伏せてるかも。雑誌も字ばっかり読むかも。字もそんな読まないけど」とシイシイは鏡を見つめる。そんな見方はできるだろうか、目にどれも入ってきてしまわないか。学ぶ機会は減るけど、まあ健全な避け方か、自分さえ見ていればこうやって、自分に合う色のリップだって選べるんだから。
 勉強、芸術、運動とかそういう積み重ねが必要なものは、もう私には追いつき追い越せる気もしない、外見を磨くのが最も始めやすい、ゴールもない。「私がこれ買うならどの色が似合うと思う?」と聞いてみる、誰かに何でも決めてほしく思う。「人のは分かんない、自信ない。ダユカ、どれでも似合うと思う」とシイシイが答える。申し訳なさそうで、いじわるで言うわけでもなさそうなので、「そーんなに他人を見ないっていうのも」と笑い手を叩き、その手は行き所ないのでまたポーチの中を混ぜる。

 学校の帰り道には大きなお寺があって、近道なので中を通る。季節の変化なんてここで感じたことないほど、常に緑溢れている。エスカレーターやカフェもあり賑わう、赤い塔も青い塔もある。金の亀が細く吐く手水、本物か偽物か見分けられない割った竹、踏んでいいのか分からない砂、道だと教える石畳。線香の煙や灰が舞って、線香はなぜ立てるのか、なぜここにはこんなに灰があるのか、死ねばこうなるって脅しだろうか。どれも何でも由来があってしてるんだろう、知らなくてもいいことばかりだけど。
 本堂の前のは、体に纏わせるとその部分が良くなるという煙なので、通る時はいつも顔にかける。顔にかければ頭にもいって、頭も良くなるのではないか、目も良くなりたい、手も煙を被るから、手先も器用になるかもしれない。ナノパみたいにスポーツしていれば、体の動きで顔はブレて、見えにくいから顔というのはないようで、それなら顔に意識もいかず、ということもあるんだろうか。でも常にスポーツしてるわけじゃないしな、顔の揺れや表情で、造作が気にならない瞬間というのもあるだろうけど、それはやっぱり瞬間のことだし。
 お姉ちゃんの部屋は、毛の長いラグにもテーブルにも、顔につける様々な粉やラメが落ちている。「おでこに丸み足すとかね、先輩がやるらしい。そこは私はあんまり気にならないけど。自分のコンプレックスじゃない部分って知識増えようないよね、考えもしないでただあるんだから。私はおでこ丸い、丸いよね?」とお姉ちゃんが聞いてくる。その触れば粉でさらさらのを触る、平面とは言えないだろう。「いい感じだよ、どうせ隠せるとこだし」「妹からのいいおでこ認定あざーす。夕香(ゆか)は結局髪が良い。この髪質なら私だってこのくらい伸ばす」「姉妹間の励ましあざすー」
 お姉ちゃんはこちらをふと見て、「問題は鼻なんだよね」と私の鼻をつまみ上げる。「隠せないところの指摘あざっすー」と私は鼻を隠す、何でも一応は隠せる。コンプレックスは発見されたら存在し始める、私の鼻はお姉ちゃんによって発見された、昔から言われてきた、額などは何も言われたことがないので野放しでいる。早く社会人になってお姉ちゃんみたいに、自分の時間を使ってお金にして、お金を自分のために使ってというのを思うままにやりたい。
 お姉ちゃんの顔だって、足りない部分過剰な部分いくらでもあるけど、こちらは知識も少なく真似させてもらっていること多く、遠慮があって指摘できない。服のお下がりももらえなくなる、してもらう方というのは得と損ちょうど半々だ、してもらう身に自由はない。「見てて、大学生になる前の春休みを」と私は言う。春は変化目まぐるしく、何らか大きな施術でもしても、人の顔の微差などに皆構っていられないだろう、どうせ友だちは総入れ替えだ。変化で私も私の顔の微差に、目なんていかなくなるかもしれない。
 お姉ちゃんは動画を流しながらストレッチを始める、会話はもう終わったのがそれで分かる、私も真似して脚を広げると、狭い狭いと追い出される。隣の自分の部屋に戻って、正しい鼻の形とは、とスマホで写真を漁ってみても、光で鼻は消してあるような、ただ線、ただ穴、ただ縦に流れ横に膨らむ、個々に違いなんて何もない気もする。整形の写真なんかは、こんなに鼻だけズームして、本来は周りに目や口や何かあるものなのに、ただ一つで存在して並べられ比較するというものではないのに。何にも解決策がある、頬の赤み、唇が赤くないこと、私の抱える悩みなら誰かも抱えている。
 お姉ちゃんの意味ありげな鼻摑み、鼻の撫で上げがなければ、私も鼻などないように振る舞えた気がする。写真を撮る時は目を見開き、口は自然に見せつつ力がみなぎる、鼻は目立ちませんようにとただ願う。自分の髪の毛を手で摑んでは離す、本物のシルクなんて触ったことないけど、絹糸のような、私が蚕で栄養全部髪に使って、吐き出しているような、栄養の使い道自分で選べず。ブラとかはシルクか、あれはサテンか、シルクは光らないのか、いや新しい布ならどれも光るか。
 髪の艶だって積み重ねのもの、長所は意識していなくても伸びていく、褒められる、もうあって当然のものと思ってしまう。失ったら悲しくもったいないだろう、お母さんは出産の後、髪質とスタイルが終わったらしい、よく言ってる。子どものせいにされてもと思うけど、お母さんも持っていたのを取り上げられて、自分で触れて実感もあったものなのに見失い、ただ損、何を責めればいいのか分からないんだろう。スタイルは同世代の人に比べていい方なんじゃん、と励ませば、あんたも産めば分かるわとか何とか、呪いの言葉が返ってくるだけだ。子どもを産んだからと歳を取ったからが、混ざっちゃってるんじゃない、とは言う自由ないままお母さんを見れば、髪は確かに暴れ回っている。
 私の髪は手触りがいい、触っていて飽きない。宿題でもするか、勉強してる時は確かに、顔のことも考えないんだから、学校で勉強なんか教える理由はそれか。一人でいれば姿などは問題にもならない。鼻を撫でる、これで正解の三角形だと誰か言ってくれればいいのに。お姉ちゃんにかけられた呪いだけど、もうお姉ちゃんの言葉では解けないだろう、誰か他の人が必要、一人がかけた呪いは、解くには一人以上が必要。目の楕円、唇もまあ楕円、歯の四角と撫でていく。横の部屋からは大きな足音が長く聞こえる、ストレッチから減量のダンスにでも移行したんだろう、仲間の努力を讃えるため、私は拍手のジェスチャー。