私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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6 ハルア

 お父さんと弟妹は、三人でお父さんの実家に行った、一泊だから大きな荷物になった、妹のリュックには軽いものばかりが詰められた。春亜ちゃんも一緒にどうと言われたけど、血の繋がりはないんだから、お父さんの実家と私を繋ぐのはお父さんの存在だけなんだから、泊まりがけで行くほどではない。こちらは血や繋がりなど思ってもみたことない考えなしの孫として、あちらは撫で回したいのは血の繋がっている弟妹で、春亜ちゃんはもう高校生だから撫で回しもできないだけ、という姿勢の祖父母として、気を遣い合わなきゃいけない。互いの本音がもし透けて見えたとしても、仕方ないこと、とそれでも笑い合わなければならない。期末テスト中だからと断れて良かった、ママも家に残ってくれた。
 金曜日のテスト一時間だけだよね、その後ご飯と買い物でも行く?勉強はまた週末にするだろうし、息抜きにとママが誘ってくれて、雨が降ってくるみたいだしやめとく?とママを休ませてもあげたいから私は遠慮してみせ、でも二人で出掛けられるなんて、昔みたいで夢のようと思うので、本気の遠慮にはならず、当日は小雨だけど行くことになった。遊びにいく前に荷物を詰め、いつでも何かひとつは忘れている。私は常に、不充分な荷物を持ち歩いている。今日の数IIはできなさが異常だった、とママに報告すれば、点数は何ひとつ変わらないが気は軽くなる。
 地下鉄は混んでいて、走り出して安定するまでは、車体を引きずるような音がする。幼い頃なら繁華街に連れてこられて、電車で立つ時は波乗りをイメージして腰を落とし揺れに上手く耐えた、デパートの人混みは、滑らかに人を避けながら歩くことだけを楽しみとした、楽しみは今より何て少なかったんだろう、それとも多かったと言えるのか。体に比べて場所はどこも広大で、字も地図も読めず記憶だけが頼りで、上手に物や人の動きに合わせようと、今より熱心に思っていた。
 広い商店街に入り、久しぶりなので着物屋も、昔一緒に入ってパンを食べた喫茶店も、ドラッグストアになっていたりするのを指差す。前よく来た中華料理屋に入って、何かきれいになってる気がする、椅子とか、と私はママに変化を伝える。そんなに変わるものばかりでもないはずなのに、変化にしか目がいかないかのように。でもテーブルの剥げさえ昔のままのような気もして、それも言いたくなる、気づいたことは何でも言いたい。二階で窓から道が見える席で、どの店の庇も上から見れば汚い、それも言う。
 ママと二人だけで向かい合って、など久しぶりで、話題を探し定食の料理一品ずつ、スープまで褒めたりする。勉強の話なんて弾まず、音楽の趣味は合わず、弟妹の愚痴などは、どこまで言うと悲しそうな顔をされるか分からないので、友情恋愛の話だけになってくる、それくらいが子どもらしいだろう。「ダユカは美意識すごい高いの、ナノパは恋愛上手なの、何か焦る。ダユカはやっぱお姉ちゃんいるもんね、ぼんやり待ってても情報が上から降ってくるみたいなもんだから、お下がりも」と言い、これは私も姉が欲しかったという不満に聞こえるかとその話題はすぐやめる。
 ママはうんうんと聞いてる、目の前に人がいれば無理にでも、私は会話で空間を埋めなければと思ってしまうんだから、再婚で家族が増えたのは良かったことなんだろう、子どもはただ音として存在するような時さえある。私が話す必要なくなり、考えを口に出さないのが続くと、考えるのもどんどん下手になっていく気もする、でもそれも周りの音に紛れる。「ウガトワはバイトしてて大人っぽいし」「バイト許可は、家庭の事情みたいなん出さなきゃいけないんでしょ?」「書きようじゃん、そんなのは。幼い弟妹のためにとか」「困るよ、春亜に外に出られたら。将来のあの子たちのためより、今のあの子たちのためにだよ」とママは答え、頼りになる労働力と捉えられていてやり切れない。
 「ここまで来て、また小さい子のお世話ってなるとね、あの子たちだからって問題じゃなくて、子どもと大人じゃね、パワーいるよね」「じゃあ今私とは?話は通じると思って喋ってる?」「大人だもん春亜は」とママは言って、無理にでも私を大人に引き摺り込もうとする。私はママと、早く対等になりたいのか、それは無理か。「ねえ、どんな人と付き合うのがいいか、って話題で誰かが、腕枕が気持ちいい人って言ってたんだけどそれはそう?」と聞くと、腕枕、とママは笑ってくり返して、「腕枕はこの、腕と肩の付け根の窪み?に頭を置けば、誰とでも安定する気がするけど」と自分のを撫でる。
 そこは胸では、と私は思いながら、相手の鼓動を聞ける体勢なのかと考える。「若い時だけじゃない?腕枕のまま眠りにつけるなんてことは、やっぱりどっちも快適じゃないから、組み合わさって寝るのってね。まあ快適じゃないことでも二人で、嬉々としてやろうと思える人ってことならそうかなあ」とママが言い、「もったいながりはやめた方がいいんじゃない。浮気できる機会があれば、逃したらもったいないって飛びつくんだから」と続ける、前の夫みたいな?と私とママで笑う。「その人がもったいながりかって、あんま分かんなくない?ガツガツは高校生はしてるじゃん、ハングリー精神みたいな。物はちゃんともったいながって大事にする人がいいし」「隠せる部分だもん。というか内面は、全て隠せると思ってもいい」とママは言い、何のアドバイスにもならない。教訓はこうして人との会話から拾っては捨てて、残ったものを自分のにしていくだけの作業で大変だ。
 ママは食器を買うのが好きだったのに、最近家に食器は増えていかない。店で、どう、とママの好みそうなのを、私は絶対当ててみせるという意気で手に取れば、「何か分かんないな。使いやすい、のかな。二人分のおかずのせるにはいいかな。今フライパンでそのまま食卓に出しちゃってるじゃない。洗い物も増えないし、落としても割れないし。お客さん来たらそうはしないけどさ、お客さんも来ないし。お父さんに分けて置いとくやつはもうワンプレートだし。二人の時はね、春亜ももう割らないようになったから、小さいお皿でちまちま出してたけど、あれも楽しかったよね。もうピンと来ないね、持ってるのでも百均のでも充分だしね、柄が入っててもなくても、色はどうでも、誰が見るわけでもないし。食器好きだったよね私。でも割れるし欠けるんだよね」とママは言う。
 誰が見るかって、私は見てるけどと思いながら皿を棚に戻す。「無気力過ぎる、欲しいものもうないの?充足してるってこと、もう隙間ないくらいいっぱいってこと?」「欲しいものを考える時間がないだけ?でも結局ないんだよね。必要なものばっかりでさ」「それって無欲で良い状態?」「無欲ね、一旦ね。自分を後回しにしようと思わなくても、先に先に、回り込まれちゃうんだもんね」とママは、お皿を持っては置いて、それらとはそれだけの触れ合いで店を出る。「春亜のお弁当が終わっても、その後また十年くらいしたら、あの子たちのお弁当だもんね」とママは、文房具や紙製品の卸売りの店で、弁当用の紙カップとかを手にする。人と一緒だと物は流し見で、私も様々なフォトフレーム、スタンプ台など手で撫でていく。透明の小分け袋とか小さい時ここで買ったな、五十枚とか入ってて、そんなに使う時はなかったのに、とママに言いながら行く。
 二人の会話が、弟妹を育てる際に必要なことばかりになったらどうしよう、と思いながら、「子育てって生き直し、みたいなこと言うじゃん、それってやっぱそう?じゃあママは余分に三人分生き直せてるってこと」と聞いてみる。「それだと結構悪夢だけどね。くり返しって何でも怖くない?そんで生き直せないしね、私は私のまま。行事はくり返し、それを生き直してるって思ってもいいんだけど、心の持ちようで、言い方だけかな。見守ってる、っていうのが、それを生きてるってことでもないんだけどな。まあ子どもの私が行けなかったところにあんたたちを連れてって、生き直したって思えばいいんだし、小さい頃の自分がそこで遊んでる姿でも思い浮かべれば、後から行かなかったよりはマシなんだろうし」とママが言う、私は励ませず戸惑う。
 ママは敏感に察知して、「なので、生き直しはできません」と笑ってあっちへ行く。塗っていって、それで下の絵が消えていくような絵の具ではないんだろう。透明のニス、重ねても昔描いたのは消えず、でも光りその反射でほら塗らないよりは良い具合とも言え、滲んで見たくもない部分には厚くのせ、それで悪目立ちもしてしまうような、子育てによる生き直しはその程度のものなのだろう。ニスでも薄く色付きではあってほしい、塗った甲斐あってほしい、と私は並ぶ商品を撫でる。ピンクの天然石でできた、顔のマッサージ器を買おうとしたけど、「どうかな、肌は結局擦らない方がいいとも言うけど」とママに言われ、じゃあ世に出回っているマッサージ動画とかはどうなる、今この瞬間にも顔を捏ねて、小顔に近づいている子がいるかもしれないのにとも思ったけど、手から離す、ここはママを信じる。