私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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7 ナノパ

 石の窪みに草が運良く生える、太い白い蛇に似たホース、うねりだけで自立する、鱗のような模様もわざわざ入り、手を差し伸べれば巻きつくような、木から何かしみ出ている、踏まれるから根もとから開く草、と校庭にある物たちを私の目は見ていく。金網の向こうは自分の家がある方向、学校って外側からだと、本当に関係がないんだよな、小学生だった頃から毎日この横の道路を歩いて、これからもいつだって通ると思うけど、中はまるで見えないんだよな。外側ばかり見てると、中というものが、あるとも思わないというか。
 教室で使ってる自分の机があまりにもガタつくので、担任の湯河ちゃんに言ったら替えのは倉庫にあるとのことなので、二人で運んでいる。テスト中なので座席は出席順で、席替えの時でも机は動かさずに荷物だけで移動するから、机は春からずっと変わってないはずなのに。たぶん自分の机が嫌だった子が勝手に交換したんだろう、そうやってハズレの机が、教室内を巡っていってるんだろう。テスト中揺れる天板を押さえながら書いていると、人になすりつければ良し、と思ってる子がクラスにいるんだと情けなく、こんなループは私が断ち切ろうと湯河ちゃんに申し出た。
 湯河ちゃんも生徒のため率先して力仕事を、ってタイプでもないけど、言われれば仕方なく、用務員さんに古いのを捨てる新しいのがある場所を聞いてきてくれた。テストを終え終礼はなく、私は机を湯河ちゃんはついでに、黒板消しクリーナーを置いていた、背もたれの剥がれそうな椅子を持ち、三階の教室から下っていく。「先生ごめんね」「いや、テスト期間中だし橋高さんだって早く帰りたいよね。お互い被害者だよね」と湯河ちゃんは、クリーナーが置かれていたせいで粉っぽいのを、服につかないように持ち直す、椅子とできるだけ距離を取る。教師は生徒の被害にも対処していくんだから大変だ、いつも四十人分の被害だ、と私は思い机を持ち直す。中が空なので重くはないけど嵩張る。
 音がなければ寂しいので声を出す、という風に、「勉強は最近どう?」と聞かれ、こんなに盛り上がらない話題もないと思いながら、「集中できなくて」とぼんやりした答えを返す。苦手なものの話ほど、していてつまらないものもない。「自分に合ったやり方を見つけるといいよね。集中できる場所とか、やった時間を記録していくとか、好きな科目と苦手なのを交互にやるとか」と湯河ちゃんは、いつか授業で言ってたのと同じことを言う。教師というのは毎年同じようなことを、同じような生徒たちに言って飽きないんだろうか。何度も言うのはもう言ったのを忘れているからか、言えば言うほど生徒たちには染み込むと思ってるのか。
 廊下は冷え、木の枠は風で震え、「湯河先生、高校で大変だったことって何ですか?」と私は、大人はこういうことを尋ねれば、一つくらいは何か語るべきことがあって、こちらは聞いた、学んだという顔でいれば話は尽きないのだからと思いながら聞く。ソフトボールのコーチでも保護者でも、みんなそうだ、高校生同士だとこうはいかない、語れること少ない。私も大人になって聞かれれば、ソフトボールでの経験など嬉々として話すだろう、語れることだけ語るだろう。忘れたこと、なかったことにしたいこと以外を。
 大人の前では、礼儀正しくしていればもうそれだけでいいんだから、こちらが優位だと見せなくても、気迫で勝たなくてもいいから楽だ。「高校生で辛かったこと?私バレー部だったんじゃん、そんな強くはないんだけど。先輩たちは人数いたんだけど、私たちの代が二人だけで、一個下の代は入ってこなくて。だから先輩が引退した年、五月くらいにするじゃない、そこから一年くらいはその子と私二人でやってて。顧問とその子はバレーが生きがいって感じで、もう骨折とかしたかったもん、私。だから顧問が打った球延々受けにいく練習とか、無理してたもん、床に手突き刺しにいってたもん。でもやっぱ加減しちゃうからね、怪我怖いから。辞めたいって言えないじゃん、一人にさせちゃうし。その一年はずっと暗かったかなあ。
 部員勧誘とかさせられてさ、練習試合行くにしても、相手チームから借りたりさ、先輩何人にも声掛けて。何か、一緒にやってもらう仲間を募るって、こんな難しいかと思ったよ、そんなマイナースポーツでもないんだけどな。すっごいマイナーなのなら、逆に始めてみようかって人もいるんだろうけどね。勧誘の結果、マネージャーは一人入ってきてさ、それも申し訳ないわけよ、気遣っちゃうの、後輩だったし。やり甲斐感じてるかなーとか、帰りにアイス奢ったりね、バレーじゃないところでお得感出そうと思って。すぐ辞められたけどね、まあマネージャーがいてもね。
 受験が、辛かったと言えば辛かったのかなあ。期間が長いもんね、長いと辛いよね。踏ん張ってるのがね」と湯河ちゃんが答え、「バレー部は結局どうなったんですか?」と聞く。「頑張ってやってたら、怪我しようと思ってやってたら本当に骨にヒビ入って、片手だったからその後も片手でレシーブとかさせられてたんだけど、お医者さんにストップかけてもらって。でもそしたら床に座って練習を見とくわけ、顧問が椅子に座ってる横に並んで、もう一人の方の筋トレとかをね、冬で凍えてさ、体育館の床なんて氷で。隣のコートでバスケ部が、楽しそうに大勢でやってて、多ければ多いほど盛り上がっては見えるじゃん。
 私じゃない方の、本気でやってた子の方が辞めちゃって。顧問も結構、残ったのが私だから諦めちゃって、まあ私が顧問のやり甲斐を作ってあげなくてもいいかと思って。指定校推薦も狙ってたし、私は辞めるという選択肢はなかったわけ。今考えるとそれで続けなくても良かったんだけどね。若い時にやってたことって、まあその時どっちを取ってても、今の姿とそう変わらないだろうなってことが多いね。次の年、後輩は入ってきてチームも作れたけど、私はもう一人に戻ってきてほしかったんだけど」
 そういう、チームメイトと練習のテンションが違う時ってどうしますかとか、後輩だけで仲良く塊でいる時、一人でその輪に入っていけましたかとか、尋ねて参考にしたいことは色々ある、自分が抱く悩みに通じる、チームで、孤独を感じていたらどうしたらいいですか。でもではアドバイスをとなれば単一の、聞いたことあるような言葉になってしまうんだろう。授業でも言われるような、よくある教訓になってしまうだろう。エピソードだけなら鮮やかで、紛れもなく個人のものなのに。何で無数にある個人の体験が、同じような思い出に、教えに収まっていってしまうんだろう。他の人も大変だった、と思うことが救いとなるなら救いがない。
 中の詰まった倉庫に古いのを置き、替わりのを取り出す。これは誰かにもし交換されても、すぐ違いが分かるような新しさだ、天板がみずみずしい木だ。また校庭を横切っていく。陽は眩しく中庭は立派で、去年まではこうではなかった、出どころ不明な水など染み出す場所だった。今年から来た用務員さんがすごくて中庭の、荷物で死んでたスペースを片付け柔らかい土にし、更衣室に入り切らない野球部員たちが着替えていた、誰からも見えてしまうような場所にちょうどいい壁を作り、プランターをつなぎ合わせて椅子を設置し、文化祭でゴミになった木材を、捨てずに花壇に再利用した。新しい工夫があった、そういうのはたぶん、多くの生徒に伝わった、野球部員は見かければ必ず近寄って挨拶する。
 前を行く湯河ちゃんが、「まあ恋愛の悩みとかが、気軽だよね」と言う。「うちのクラスってカップル少ないですよね」と言えば、「へー、誰と誰が付き合ってて?」と湯河ちゃんはミーハー心なのか、教師として把握しておきたいのか振り向く。私は話し出した途端に、こんな話がしたいのではない、聞きたいことはこれではないと思い直す。親や友だちとの会話じゃないんだから、自分のしたくない話はしなくてもいいはずだ。「恋愛って私の中で本当に意味ないんです」と私が言うと、「私は好きー、大人になると恋愛くらいしか、真の娯楽はないとさえ思うね」と湯河ちゃんは、さっきまでとは違うような顔の動かし方。恋愛って暇つぶしで繋ぎの会話で、体に何も残らなくて、と続けそうになっていたのを止めておく、人の娯楽に口は出すまい。
 湯河ちゃんは聞いてほしいんだろうか、直近のなら聞いてるこっちも照れるだろう、今恋人は?遠いことなら聞きやすいだろう、高校生の時の恋愛は?心に残ってることなら語りやすいだろう、今までで大恋愛ってどれでした?ぼんやりした聞き方なら教訓も挟み込めるだろう、良い恋ってどういうのなんですかね?どれも笑顔でなら楽しい会話になるだろう。考え尽くしたものの、「何で好きなんですか?」と私の質問は本当に不思議で本当に疑問、というようなつまらないものに行き着く。湯河ちゃんは恋愛の美点や利点、自分の成長に繋がる点など教えてくれたけど、それらはスポーツからでも得られることだったから、私の耳にあまり残らない、中を素通りしていく。