お母様の正子さんと。2014年頃(写真提供◎ダイアモンドユカイさん)

その時は、気にしつつも引き下がりました。それからしばらくは実家に顔を出すたびに、「運転をやめろ」「やめない」の繰り返し。必ずケンカになってしまい、おふくろもうんざりしたのでしょう。ある時、「わかった。じゃあ、あと1年したらやめるわ」と言ってくれたんです。やっぱりわかってくれたんだなあ、とうれしくてね。

それでその日から1年間はじっと我慢。その間にも高齢者の起こした交通事故がニュースになり、不安だったけれど、もう少しの辛抱だと思って、車の話はいっさいしなかった。

そして1年後、「1年たったよ」と言ったら、「あら、まだ大丈夫よ」と平然と。その時のおふくろの顔を見て、ああ、この人は運転をやめる気はまったくなかったんだ、と気づいた。「1年間」はうるさい息子を黙らせるための口実だったんです。

 

事態は進展しないまま焦りが募って

ちょうどこのゴタゴタの時期に、子どもを授かったこともあり、これを機に「みんなで一緒に住もう」とおふくろに持ちかけたこともあります。同居して目が届けば安心だし、運転手役を自分がやればおふくろは運転する必要がなくなる。いいアイデアだ、と思ったのですが、「残りの人生は、好きなように生きさせてちょうだい」と、あっさり断られました。

だったら、オレたちがおふくろの住む大宮の家の近くに家を建てよう。同居がいやなら近居をと考え直し、候補地をピックアップし、おふくろに見せたんです。すると、今度はその土地にことごとくいちゃもんをつけてくる。磁場が悪いとか、環境がなんだとか。それで近くに住む話はいつの間にかなくなり、僕らは子育てに適した場所を求めて、栃木の佐野に引っ越すことになりました。

東北自動車道を使えば、さほど時間はかからないものの、かなり遠くなってしまいました。そのうえ、子育てが忙しくなり、実家へは2ヵ月くらい顔を出せないことも。最初に免許返納の話をしてから何年もたつのに、事態は何も進展していない。焦りがだんだん募っていきます。

そんなある日のこと。実家に帰ったら、おふくろの車のドアの部分が大きくへこんでいたんです。明らかにぶつかったという感じ。「ぶつけたの?」と聞くと「向こうがぶつかってきた」と、頑として認めません。