聞けば、タイヤに不具合が出たので人様の家の駐車場に車を置いてきたと、悪びれる様子もない。事故を起こすのは怖いが、慣れない町で何をしているのかわからないのも同じぐらい怖い。

翌日、戻ってきた車を点検して、愕然とした。そこには一度についたものではない、たくさんの傷があったからだ。後ろのライトはぶつかって割れたのを一時的にテープで留めてある。初めて父の身に起こっている現実を突きつけられ、私は決心した。一刻も早く運転をやめさせなければならない、と。

当初は自主返納してほしくて説得を試みたものの、困難を極めた。父は元教師でプライドが高いうえ、これまで無事故無違反で昔から運転に自信を持っていた。母が亡くなり、これといった趣味もない。車で出かけることが、唯一の気晴らしだった。

この頃から大事な話を忘れたり、私が捨てたごみを自室に持ち込むなどの行動が目立ってきたので、まずは認知症の検査をし、医師から説得してもらおうと考えた。

父は認知症と診断されるのが怖かったのだろう。健康診断をはじめ、あらゆる病院に行くことを拒んだ。かかりつけ医に相談しても、「本人が診察に来ないことには」と反応は鈍い。

家族や親戚に説得を頼むと、一度は応じてくれても、何度もお願いすると、「まだ平気なのに大げさな」という反応に変わる。同居している私とはいかんせん温度差があるのだ。父が日に何度も車で出かけていく気配を感じると、在宅で仕事をすることが多い私は生きた心地がしなかった。

 

医師の対応に大きく失望し

夏前になってようやく、妹の夫が同行して病院に行くことを了承。かかりつけ医は簡単な検査後、改めて市民病院の神経内科に受診の手配をしてくれた。

市民病院受診の日、これまでの父の症状と経緯、運転をやめるよう説得してほしい旨を手紙に書いて、義弟に託す。検査の結果はやはり認知症だったので、これでようやく運転を諦めてくれる、と安堵さえ覚えた。

が、義弟が録音してくれた診察の様子を聞いて、耳を疑った。若い女性医師が「私には権限がありませんが」と前置きしたうえで、「運転はおやめになったほうがいいと思います」と軽く言ったのだ。

父は「自分のことは自分が一番よくわかっているので、運転はやめません」と返し、そこでその話は終わっていた。最初に権限がないと前置きしたら、言うことを聞くはずがないではないか。