演劇からファッションに方向転換して
戦後は外国映画に魅了され、お芝居の世界に憧れを抱くようになりました。私は大学に通いながら、文学座の研究生に。指導してくださった芥川比呂志さんからは、大学卒業後に文学座に戻ってくるように言っていただきましたが、徐々に自分の適性は演劇よりデザインだと気づき、在学中に文化服装学院の夜学に通い始めました。
卒業後、母が経営していた洋裁学校の先生になりましたが、しばらくしてから母に、1年間パリに留学したいと懇願。日本ではまだヨーロッパ式の立体裁断が普及していなかったので、本場で学びたかったからです。当時、海外留学には相当お金がかかりましたが、「私の結婚資金として貯めていたお金を出してください」と頼みました。
パリでは高度なオートクチュール技術を学びましたが、その間、子どものころに絵本の中で見たお姫様のようなパリの花嫁の美しさに、心が震えました。
帰国してからは、学校で生徒たちに教える日々。当時は「花嫁修業」の一環として洋裁を学ぶ人が増え、学校は盛況だったのです。ただ、なかには単なる花嫁修業ではなく、洋裁で身を立てたいという生徒もいます。そういう生徒のため、2年間のカリキュラムを終えた後、さらに1年間、専門技術を学ぶクラスを設けました。
2年間でほぼすべての服の基本を教えるので、3年目はパーティドレスなどの正装をカリキュラムに。そして卒業制作として、ウェディングドレスを作ってもらうことにしました。
それでわかったのは、日本における生地やアクセサリーの貧困さです。当時はウェディングドレスの需要がほとんどなかったため、ろくなものがなかったのです。