ブラジルで邦字新聞が消える日
73年の歴史を持つ邦字新聞『サンパウロ新聞』が、2019年1月1日号をもって廃刊となった。
最初の日本人移民がブラジルに渡航したのは1908年。その8年後に、初の邦字新聞『週刊南米』が創刊。これに続き『日伯新聞』、『伯剌西爾(ブラジル)時報』など多くの邦字新聞が発行され、ポルトガル語に不慣れな日本人移民の貴重な情報源となっていた。
しかし第二次世界大戦で日本がブラジルの敵国となると、日本語での会話と邦字新聞の発行が禁止される。1942年7月には大使館などの日本政府機関が撤退し、ブラジルに残された移民は、情報が得られなくなってしまった。その結果、敗戦後も「日本が勝った」と信じる人々が徒党を組み、「日本は負けた」という認識の人々を殺傷する事件が起きた。
そのような悲劇を経て、1946年10月、戦後初の邦字新聞として刊行されたのが『サンパウロ新聞』だったのだ。その後、『南米時事』『パウリスタ新聞』などの邦字紙や雑誌が発刊された。以来、日本国内のニュースや日系社会の出来事を伝えてきたが、インターネットの普及、ポルトガル語を話せる二世以降の日系人の増加が影響し、相次いで廃刊してしまう。
これにより情報を遮断されてしまったのが、インターネットを使いこなせない高齢者だ。NHKテレビのニュースは、月々の受信料が高額で手が届かない人もいる。彼らが最も困っているのが、日系社会の情報を得る機会が減ったこと。人探し欄は古い知人の安否を確認する唯一の手段だったが、それがなくなってしまった。また、俳句や短歌の投稿欄に自身の作品が載ることを楽しみにする読者も多かった。邦字新聞は故郷とのつながりを感じられる存在でもあったのだ。
私は、ある女性が語ってくれたエピソードが今でも忘れられない。かつて、貧しかった彼女は新聞を買うことができず、市場で買った野菜が包まれていた邦字新聞を読んだ。
「くちゃくちゃになった紙を広げて、読んでいたら涙が自然に出てきちゃってね。私はこんなにも日本語を欲していたんだって……」
現在は『ニッケイ新聞』一紙が残るのみ。なくならないことを祈るばかりだ。(サンパウロ在住)