平成5年名古屋場所の千秋楽を、忘れることができない
しかし、曙が若貴兄弟と対戦する時だけは、測ったわけではないが血圧が上がる感じがした。曙は、横綱を目指す若貴兄弟の前に岩でできた壁のように立ちはだかったのだ。
私は、若貴兄弟が好成績を上げ、横綱に昇進することを願っていた。そうすれば、私が生涯のファンと決めた父親である二子山親方(元大関・貴ノ花様=別格なので「様」をつけている)が大喜びをすると思ったからである。若貴兄弟のどちらかが優勝すれば、テレビのニュースや新聞や相撲雑誌に、師匠としての凛々しいお姿を数多く拝見できると思っていたのである。
平成5年名古屋場所の千秋楽を、私は忘れることができない。
横綱・曙と大関・貴ノ花、関脇・若ノ花(四股名の「ノ」は当時のまま)は巴戦での優勝決定戦となった。巴戦は2連勝すれば優勝なのだ。
ふだんは信仰心がゼロの私だが、八百万(やおよろず)の神々に祈りながら、貴ノ花と若ノ花のどちらかが優勝することを願った。しかし、曙は圧倒的な強さで、若ノ花を押し倒し、貴ノ花を寄り倒し、若貴の兄弟対決にはならなかった。
私は「曙をスカウトしたのは高見山(元関脇・東関親方)だ。高見山を恨む」と叫んだ。
昭和一桁生まれの母は、「高見山を育てたのは前田山(元横綱・高砂親方)だよ。恨むなら前田山だ」と、若貴兄弟のどちらかが優勝できなかった悔しさは、戦後初の横綱である前田山にまでおよんだ。