曙は「強くなりたい」と思い続けた
曙は、優勝11回、殊勲賞4回、敢闘賞2回、平成13年初場所が最後の場所となった。引退後は、東関部屋で後進の指導をしていたが、平成15年に日本相撲協会を退職して、プロの格闘家になり、同年大晦日に格闘技の「K-1」でボブ・サップさんと対戦して注目を集めた。その後、プロレスの世界でも活躍した。
曙の訃報のニュースから7年間も闘病していたことを知った。そして、2冊の本を思い出した。引退した後に出版された『横綱』(平成13年9月30日、新潮社発行)と、私が大崇拝する沢木耕太郎先生の『春に散る』(上下巻、2017年1月10日、朝日新聞出版発行)である。
『横綱』によると、曙は「強くなりたい」と思い続けたが、平成11年初場所で引退届を出した。しかし、当時の時津風理事長(元大関・豊山)により再起をうながされている。曙は重症の変形性膝関節症を患っていた。
再起のチャンスを生かし、19場所ぶりに名古屋場所で優勝を果たした。ところが、その後、膝はさらに悪化。痛み止めの薬と点滴を打ち続け、内臓や身体まで痛みだした。その苦しみと横綱の責任を果たしたいという気持ちを読み、私は涙が出た。
引用すると「ともすればネガティブな方向に走りそうになる頭の中の考えを私は首を振って打ち消し、終盤の土俵にあがりました。一番、一番、命を削ったっていい。」とあった。そして、20世紀最後の場所となる平成12年九州場所で11回目の優勝を果たしたのである。