曙にとって「命を削ったっていい」と思えた場所

『春に散る』の下巻では、主人公である広岡が桜の花びらが散る中を歩き、心臓発作に苦しみながら、自分の生きた道を思うのだ。引用すると「広岡は徐々に薄れていく意識の中で思っていた。そういう場所があったということ。もしかしたら、人は、それを幸せと呼ぶのかもしれないな、と。」

「そういう場所」とは、広岡が若い時に挫折したボクシングの世界だと思う。曙にとっては、「命を削ったっていい」と思えたその場所が大相撲だった。

26年前の4月の深夜、難病で入院していた私の父が危篤であると病院から電話があった。病院の敷地は広く桜の木が多く、病院に駆けつけた時、嵐のように風が吹き、地面に落ちた桜の花びらが空に向かって舞い上がっていた。父の魂を桜の花びらが空に連れて行ったのだと感じた。それから、春に逝く人は、桜の花びらが魂を天国に舞い上げるのだと、私は思っている。

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曙が亡くなった時、桜は咲いていたのだろうか。

土俵入りをする曙の写真がある本のページを開き、私は合掌した。