母が倒れたことがきっかけに

あらためて、なぜこんなに家事を意識するようになったのかと言えば、コロナ禍の最中に、母が脳梗塞で倒れて寝たきりになってしまったことが大きかったと思います。母は今も施設にいるんですけど、それまでは週に1度のペースで私の家を訪れて、「この散らかりようは何?」って、部屋が片付いていないといつも注意されていました。私が旅行で家を空けるときは、愛犬の面倒を見ながら家の中を整理整頓してくれて。つまり、母が目を光らせてくれていたおかげで、私の生活の秩序が保たれていたんです。それが、母が倒れたことで、たとえ家の中が散らかり放題になっていても、私のことを気にかけてくれる人が誰もいなくなってしまった。ひとりっ子の私には仲上のように親切なきょうだいもいないので、このままだと自分の生活が崩れていきそうで、なんだか怖くなってしまったんですよ。

『山の上の家事学校 』(著:近藤史恵/中央公論新社)

そこで、「これはマズい!」と家事に向き合ったとき、家事って本当に「見えなくされている」ことに気がつきました。家事を背負わされている人はすごく大変なのに、やらなくていい人にはその大変さがまったく見えない。ゴミ捨てひとつとっても、ゴミ収集所までゴミ袋を持って行くのはそれほど大変じゃないけれど、その前にゴミの分別をしたり、各部屋のゴミを集めたり、それまでの作業に手がかかるでしょう。

でも、「自分の責任じゃない」と思っている人はその大変さにちっとも気づかない。「紙ゴミを集めるのはいいけど、排水口の生ゴミは無理!」とか平気で言っちゃう男性の話も聞きますし(笑) 自分だって生ゴミを出しているのに、なぜ自分は処理しなくてもいいと思っているのか。今回の小説にもそんな不条理なシーンが登場しますので、日頃、夫の言動にイラついている方には、ぜひ読んでいただきたいと思います。(笑)