靴底に開いた大きな穴
それから約5週間後。母校であるリージス高校へ招かれ、1953年の卒業証書を受け取ることになった。博士号を授与されたのち、晴れて高校の卒業も認められたのである。
ピートは成績優秀だった。小学校時代の成績表を見ると、最高点の「A」がずらっと並ぶ。とくに英語、美術(線画)、エチケット(行儀)は100点満点。少数の選ばれた生徒だけに与えられる奨学金を得て、ブルックリンから地下鉄で1時間半近くかけてマンハッタンのパーク街東84丁目にあるリージス高校へ通った。
リージス高校といえばイエズス会系の名門で、ほとんどの生徒がマンハッタンに住む上位中産階級(アッパーミドルクラス)――つまり、裕福な家庭に育った子弟だった。ブルックリン出身のピートは、そんな異世界に足を踏み入れてさぞかし面食らったことだろう。
「あの日は雨が降っていてずぶ濡れだった……」
当時のことはあまり思い出したくない様子のピートだったが、時たま、わたしに語ってくれたことがある。
「履き古した革靴の底には結構大きな穴が開いていたんだ。でも、もちろん新しい革靴なんて買えなかったからね。レキシントン街から学校へ着く頃には、靴はすっかりぐしょぐしょ。靴底の穴をふさいであったボール紙は用をなさなくなっていた」
高校のロッカールームへ着くなりベンチに腰かけ、靴を脱ぐ。穴を塞ぐためにゴミ箱からボール紙を拾い出して穴に当てるためにちぎろうとしていた。
「そこへ3年生がふたりやってきて、僕の靴を笑った。穴の開いた靴を笑ったんだよ!」
こう話すピートの顔は上気していて、当時の屈辱を噛みしめるかのようだった。
その日の授業が終わるなり、彼は出口でじっと待ち、嘲笑した上級生のひとりを見つけると強烈なパンチを浴びせたという。相手が血を流して路上に伸びている間に退散し、この事件がリージス高校を退学するきっかけになった。