「ピートはジャーナリズムに文学を取り込んだ」
のちにわかったことだが、ピートは「ニュージャーナリズム」という言葉を使い始めた先駆者のひとりでもあった。
「プレイボーイのライバル誌として始めたナゲットという雑誌の編集長と話している時、『ニュージャーナリズムという特集をしたらどうだろうか』とぼくが提案したんだ。ゲイ・タリーズとか、トム・ウルフなどを含めて。でも結局、記事にはならなかった。1965年から66年の頃だったと思う」
ピートはいつだって自ら現場へ足を運んでは、市井の人々の声なき声を一つひとつ丁寧に拾い集め、表情たっぷりに書き入れた。そのコラムを読んで、「ピートはジャーナリズムに文学を取り込んだ」と評したのはアイルランド人作家のコラム・マッキャンだったが、それこそがニュージャーナリズムの始まりだったといえるのだろう。
『血の轍』のライナー・ノーツを改めて読み返してみると、ピートがその詩をどれほど深く理解し、“あの時代を生き延びた声”として捉えていたかがわかる。ボブ・ディランとはプライベートでも親しくつきあっていたというが、ふたりの心に通底していたものもまた、「怒り」だったのではないか……。
ボブ・ディランやローリングストーンズに並んで、数多のジャズのLPレコードを仕事部屋に置いていたピート。原稿をタイプする、あの機関銃のような音のバックにはいつもチャーリー・パーカーの曲が流れていた。
※本稿は、『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』(新潮社)の一部を再編集したものです。
『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』(著:青木冨貴子/新潮社)
“結婚しない女”と呼ばれたわたしが一緒になったのは、ニューヨークでも有名な作家で、プレイボーイ――。
山あり谷ありの幸せな33年間を経て、一足先に旅立ってしまった彼の記憶を抱きしめながら、「ふたたび一人」で生きていく。
パートナー喪失後の穏やかな覚悟を綴る、感動の手記。