やっぱり母の近くにいてあげたい

けれど、地震は篤子さんの気持ちを変えました。「やっぱり母の近くにいてあげたい」。そう痛感したのです。ことに、昨年、父が89歳で大往生し、病気で入院中だった兄も亡くなると、母はすっかり気弱になりました。ずっと専業主婦として家族の面倒を見てきた母にとって、世話を焼くべき父が他界し、生活に張り合いがなくなったのでしょう。篤子さんがふと「こっちに帰って来ようかな」と漏らしたら、ことのほか喜びました。このゴールデンウィークに帰省した時もそう。近くにいると、母が、東京を引き払って戻ってくるのを心待ちにしていることが、ひしひしと伝わってきました。

「どうしようかなあ、って思って……。あと2年で60歳定年なので、雇用延長せずに実家に帰ろうか。それとも雇用延長で会社に残って65歳まで東京で働くか。でも、今の仕事はあまりに忙しくて、毎晩10時、11時まで働く日々。体がきついから、定年より早いけれど、もう今年、退職しちゃおうか……って、毎日、気持ちが揺れています」

篤子さんは27歳まで親元に住んでいました。高校を卒業後、専門学校を経て、地元の服飾系の会社に就職。でも、インテリアコーディネーターの仕事がしたいとスクールに通い、一念発起。インテリアデザイン関連の仕事をするため、上京しました。以来、約30年、東京で暮らしています。建築事務所勤務などを経て、一級建築士の資格を取得。この約20年は、住宅リフォームの仕事をしています。

昨今のリフォームブームに乗って、需要の多い業界です。でも最近は新規参入も多く、競争は激化。かつ、リフォームは、新築物件に比べて利幅が薄く、手間暇はかかります。全ての案件が、一つずつ条件の違う「オーダーメード」。顧客の元に出向いて要望を聞き、使う部材や工事費なども調べて、予算の範囲でデザインに落とし込み、プランを立てなければいけません。しかも、篤子さんの会社にはノルマもあります。

篤子さんはいま、10件以上の案件を並行して動かしています。毎日、行く現場や仕事の内容も違います。プレゼン段階から工事中まで、それぞれ異なる段階の顧客を同時に相手するので、混乱しがちです。休日や夜にも顧客からはメールや電話が来ます。でも、顧客とのコミュニケーションをおろそかにすると、案件を他社に奪われかねません。ですから、メールを一つ返すにも、内容だけでなく文面にも気を配る必要があります。デザインや仕様でも、顧客の要望を最大限汲むような提案をしないといけません。

年下の男性上司からは仕事が遅いと叱られますが、機械的にこなせる仕事ではありません。時間も気も遣います。むしろ、そうして細かいところまで気を遣った仕事ぶりだからこそ、顧客の信頼が得られるのです。篤子さんは10年ほど前まではトップセールスでした。