会社員で一級建築士の篤子さん
地方出身で東京で働いているシングル女性の場合、定年退職後にどこで暮らすかは、おおいに迷うところでしょう。老親が地方に残っているなら、戻って一緒にいてあげたい。でも、上京して長いと、地元には友だちもいません。娯楽も生活の基盤もある東京の生活を手放すのも惜しい。そもそも何歳まで働くのか。60歳定年より前に退職するのか、定年延長して65歳まで働くか。いま東京の会社を辞めて戻ったとして、地方に働き口はあるのか――会社員で一級建築士の篤子さん(仮名、58)はいま、この迷路を堂々巡りしています。ことに、元日に起きた能登半島地震が、篤子さんの気持ちを、より実家に向けて揺さぶっています。
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2024年1月1日午後。北陸地方の実家の居間で、篤子さんは母(86)とちゃぶ台に並んで、のんびりとテレビを見ていました。突然、携帯から、不穏なブザーが鳴り始めました。「緊急地震速報、緊急地震速報」。直後、2人のいた一戸建てを、激しい揺れが襲いました。4時10分頃のことです。
篤子さんはとっさに母をかばいながら、腕を伸ばして食器棚を押さえました。棚は、ちゃぶ台の向かいの壁際にあります。突っ張り棒で固定していなかったため、揺れにつられて扉が開き、ワイングラスなど丈の高いグラスや食器が落ちてきました。食器類が割れて、居間の床に散らばりました。台所では、トースターが棚から飛んで、落ちていました。
「揺れたけれど、でも、東日本大震災の時の東京くらいの揺れでした。ただ、私が側にいられて、母1人で恐い思いをさせずに済んだのは本当に良かった」
篤子さんはちょうど、正月休みで帰省中でした。近くに住む姉(61)の一家は翌日来る予定で、元日は母と2人。どこにも出掛けず、ゆっくりしていました。幸い、自宅は壁に亀裂が入った程度で一部損壊もなく、崖地や盛り土など避難が必要な土地でもありません。電気も水道もガスも壊れず、停電にもならず、避難所への避難勧告も出ませんでした。とても幸運なことに、地震後もふだん通りの生活ができました。