私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

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13 ウガトワ

 昼休みの教室は臭くなる、バイトのバックヤードみたいなにおい。「親の悪口ってさ、兄弟姉妹いたらやり放題って感じ?」とナノパが聞き、「うちはお姉ちゃんとやりたい放題」とダユカが答え、ハルアがどう答えるのかなと思って見てると、「うちはね、お父さんの悪口なんて言う先がないし、お母さんのも、弟妹に言っても、それでお母さんを軽く見られても、言いつけられたりするかもだし」と言うので、「悪口、まあ軽口って信頼関係で、子どもとはできないよね」と私はフォローする。「うちは、ママと妹で私の悪口言ってるよ」とシイシイは、この場に風を通すためという感じでもなく言い、「えー、じゃあママと妹の悪口私たちで言おうよ」とハルアが励ます。「うちはお兄ちゃんお姉ちゃんと言いまくりだったよ、もう家出たけど。でも言ってて悲しくなってくるのが親の悪口だよね」
「確かにね。何か直せもしないじゃん」「あ、ナノパ。彼氏の嫌なとこは直せるけど?」「直せる、と言える、かな。一つずつ潰していく感じだよね、また似てるとこで似たことやってくるけど。応用が効かないよね。何か物事が繋がってないのかな、頭の中で」とナノパは怒りの力で自分の髪を揉む。ナノパの髪はいつも肩上くらい、私のは長い、長ければセルフカットの毛先がどう切れているかも目立たない。ナノパはこう先輩の悪口みたいに、親のも細かく私たちにでも言えばいいのにとも思うけど、盛り上がりには欠けるだろう、変えられないものについて語ることは、必要だけど虚しい、自分の無力が浮き彫りになるというか。「子に親は変えれないよ」と私は言う、「親は子どもを変えようとしてね」とナノパが答える。よくナノパは、互いの家族の比較みたいなのをしてくる、親の文句ばっかり言ってるけど語れるっていうのは、自信があるってことだろう。私ならしない、語ればうちのボロが出そうで。比較なんかはふいに現れ出て、自分の家が小さく見え、テレビの豪邸特集なんて、私は親と一緒なら目を背ける、一人でなら楽しいグルメ特集も親とだと、美味しそうと感嘆もできない。一人だったらテレビなんかはもう見ないけど、各家庭で自分を顧みて比較するために置いてあるものだろうか。
 トイレ行く人、と募るとシイシイだけが手を挙げ、二人で廊下を行く。「妹とかいない方がいいけどね。ナノパは夢見過ぎだよね」とシイシイが言う。「まあ、ないものへの憧れが。え、でも本当にそう思ってる?一人で親の期待とか会話に耐えなきゃいけないって、すごくない?」「ああ、まあ。ナノパ、先輩と付き合ってお兄ちゃんみたいになってもらうって言ってたね」「お兄ちゃんー。彼氏ってそんなときめかないもんかな。でもお兄ちゃんくらいなら、他人でもなれる気もする」「そんな薄めなんだ、踏み込み合わないか。私なんか妹に否定され続けてさ」「シイシイなんてかわいいお姉ちゃんだろうに」「使えないけどかわいいお姉ちゃんだろうに」とシイシイは暗いトイレの鏡で、水で前髪を直す。
 授業中は休息の時間に当てたい、体は寝転ばせてほしい、教室のスペースの問題か、まさかずっと座っていられるという力を、育てるためではないだろう、そんなのはいらないはずだ。バイトすることの最大の欠点は、全ての時間に給料が発生してもいいはずなのに、という考えが身につくことだろう、授業を受けても時給は出ない。私の一時間は、千円くらいにはなるのに、価値ある時間なのに。つまらない授業なら、どんなにつまらないものからでも教訓を引き出せる力をつけるために受けるんだろうか、それだけのためなら長過ぎないか、聞いてる振りがマナーで。頭良くしたところで、という落胆と、自分の頭の良さだけが自分を救うという期待が、私の中に順繰りに来る、混ざって心にある。遠くの国公立まで受けて一人暮らしとか近くの私立、という選択肢は私にはない、受験料も最初の納入金も生活費も高い。遠くの将来の話なら楽しいだけなのに、子どもを持つならどんな名前、家を買うならどんな家、仮定が多いから、自分ごとじゃなくなるからか。ハルアと私には学校の近くに好きな家があって、通るたび褒め、こういう家に住もうねと言い合い、これは恐らく互いに互いの答え合わせはできないというか、大学なら落ちた受かったが噂なんかで分かってしまうけど、将来どんな家に住んでいても、バレて気まずくなったりはしないだろうから、こういうのは大いに言い合える。
 いくつもの選択肢があるのだから選び上手であれと言われて、それは、自分を直視したり鳥瞰したりしてこなかった自分が悪いんだろうけど、今まではいつも周りに決められてきたのに、子どもなんだからと言われて。次の選択肢だって無数にあると見せかけて、数えてみればきっと私のは両手で足りるくらいしかない、それに思い至るのが嫌で、指を折らないでいる。手のひらをそのまま開いておけば、何かが手に入ってきて摑めると思い待ってるわけではない。とりあえず地元の国公立の一択、でも専門学校は早い入試で授業料を安くしてきたりして周りは私を焦らせる、でも焦りは私を動かさないんだからどうしようもない。
 この前駅前で大道芸をやってて、お兄さんが台に筒や板を重ねて立ち、飛んだり何か投げたりやっていた。かけてる曲は技が決まったところでサビになるようになってて、流行った音楽それだけで泣きそうになり、お兄さんのトークと驚くほどの体の柔らかさも場を盛り上げて、あれほどたくさんのことができなきゃいけないのか、とダユカと並んで座って見ていた。高校を出て十年これで食ってるんです、チップは紙のお金が嬉しいですと帽子を置いた、ダユカは素直に千円財布から出した、私はお金ないや、と気楽な感じを出しつつ言った、私はもう、人と一緒の時なら大道芸には立ち止まらないようにしよう。ダユカはうんうんと、じゃあウガトワの分も込みねと頷きながら入れに行った。私たちはベンチに座って感想を、高校卒業からやってるんだって、焦らすなあと私が言い、心に決めたことができちゃうと良いよねえ、でも決めたことだけできるもんかね、やり続けて向いてなかったらね、向いてないことには人は最初から近寄らないんじゃないかな、楽しく続けられることが向いてることなんだろうねえ、と言い合った。
 私ってでも何も続かないんだ、向いてること一つもないんだ、落ち着いて座ってることさえ向いてないもん、とダユカが言い、向いてることを探すにも経験がいるわけだから、こんなところで喋ってる暇はないのかもしれない、と急に立ち上がり、その勢いで何か有意義なものでも探しにいくかと思ったら、自販機でジュースを買って戻ってきた、私も大きく一口もらった。私結構ビーズでアクセとか作れるんだけど、作ったやつママにこれ買い取って、って材料費分言ったら、うわ高って言われて、一応は買い取ってもらえたけどもうそれで終わり、とダユカが言い、手作りってダサくなることも多いしね、でも芸術作品だって手作りか、向いてる向いてないはただただ才能ってやつですか、と私は頭を抱えた。無からお金を生み出したいな、でも動画で稼ぐもアイデアと見かけがと私が言い、無から、が発展して体で払うに進んでいくのかなとダユカが言い、自分の体は無だろうかと私は思いつついた。
 恋とかがお金かからない趣味じゃん、人付き合いってお金かかるっちゃかかるけどね、お金かかんない趣味より、お金稼げる趣味を探してるの、ただの趣味はいらないの?とダユカが言い、それは考えたことなかった、私の貴重な時間を、私の趣味なんかに使うなんて。お金が発生しない時間っていうのが、学校だけで充分なのかも、暇ならバイトのためにもう寝ちゃうわ、自分でも今びっくり、と言うと、それだとうちの、社会人のお姉ちゃんと同じだよ、とダユカが笑い、社会人を先取り、と私も笑い、後からいくらでもできることを今やっているなら、それなら今の無駄遣いだろうか、じゃあ今をどう使えばいいんだろう。やってて嬉しいっていうか、やってて虚しくないことがバイトなんだけど。
 ダユカは美容詳しいじゃん、メイクさんとか、デパートで売ってる人になれるじゃん、うーん、好きでやってるのかなあ、必要に迫られてるだけだよ、自分の気にしてる部分しか詳しくないよ、たとえば自分の目はさ、特に何の感情もないから、アイシャドウふわっとのせるだけだもん、ナノパに眉毛きれいって言われたし、目周りは自信あるからそんな見てない、とダユカは言った。じゃあどこを気にしてるんだろう、鼻かな、よく触ってるしノーズシャドウを濃く入れてるしと私は意地悪く思った、私は目は毎日、二重になるよう癖付けて寝てるから。気にしてることは目立つ、でもじゃあ鼻に影入れず目に皺つけず、どれも存在しないように振る舞えば、見ている人もそれに倣うというわけでもない。こういう風にさ、自分の小さな小さな得意なことを、やれるって信じてみんな伸ばしていってるのかなあ、自分からは小さく見えるだけ、ってだけならいいのに、とダユカは言っていた。自分ができることをやって、伸びないのは一つずつ潰していって、できないなあと筆を折るなりマイクを置くなりして、手もとに何もなくなる恐れがあるなと、私は思い出しつつ、つまらない授業中を熟考の時間として使っている。