日本人と日本語をもっと理解しなさい

そもそもイタリア語は、標準レベルでも日本語よりきつい表現が多い。

当時同棲していた彼氏は、イタリア全土でも柄の悪さでは屈指と言われるフィレンツェことばのスピーカーで、下町で商売を始めるに至って、さらに輪をかけてオゲレツな下町バージョンを身につけてしまったので、私のイタリア語は、怒った場合に限り、夫が絶句するほどひどい。

先日、イタリアのドラマを見ていたら、登場人物たちが口にする強烈な言葉が日本語の字幕では柔らかい表現になっているのに気がついた。清楚な女性が怒りに任せて相手を罵る言葉が上品な表現に置き換えられているのは、言語コンプライアンス以前に、そのようにアレンジしなければ日本の人に届く表現にならないからなのだろう。

悪しき感情が芽生えると、その場で外へ放出してしまうイタリア語の世界で生きてきた私にとって、日本語は悪口に至るまでが優しく感じられる。にもかかわらず人に騙されたり辛辣な目にあったりしたのは、その言語表現の先入観のせいではないか。

そんな話を友人にしてみたところ、「言語は関係なし。あんたがお人好しすぎるだけ。日本人と日本語をもっと理解しなさい」と断言された。


歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)

パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!