「越後の龍」と呼ばれた謙信
戦国史に残る有名な戦といえば、織田信長が今川義元を下し天下を轟かせた「桶狭間の戦い」。
西軍と東軍が激突した天下分け目の「関ヶ原の戦い」。
そしてもう1つ、千曲川を挟んで2人の名将が火花を散らした「川中島の戦い」。
その川中島の戦いからさかのぼること20年余り。
長尾虎千代、のちの上杉謙信。
まだ何者でもない12歳の少年であった。
生まれ育った春日山城を離れ、林泉寺に預けられ、経を読み、座禅を組み、兵法を学ぶ修行の日々を送っていた。
中略
そののち元服した虎千代は景虎と名乗り、14歳で初陣を果たす。
栃尾城での勝利を皮切りに20歳を過ぎるころには越後全土を平定。
無敗を誇る青年武将に成長した。
毘沙門天の再来とあだ名されるほど、その武勇は越後中に轟いていた。
関東管領を賜り、上杉政虎と名乗るようになった永禄4年、立ちはだかるは甲斐の宿敵・武田信玄。
北信濃をめぐって互いに城を取り合い、調略を繰り返し、その抗争は激しさを増していた…。
ここから世に名高い「川中島の戦い」が始まっていきます。
戦上手だった謙信は、生涯を通してほとんど負けたことがなく、「越後の龍」「軍神」などと呼ばれていました。
その一方で、「敵に塩を送る」のエピソードのように、敵とはいえども困っている人には手を差し伸べる性格で、自分の欲よりも義を重んじた武将としても知られています。