私たちの声はよく似ているのでどれも混ざる、来年も私たちは五人でいるだろう――。
 同じ高校に通う仲良し五人組、ハルア、ナノパ、ダユカ、シイシイ、ウガトワ。同じ時を過ごしていても、同じ想いを抱いているとは限らない。少女たちの瞳を通して、日常を丁寧に描き出す連載小説。

〈前回はこちら〉

16 ダユカ

 お姉ちゃんが休日の昼のリビングにいるのは珍しい、いつも家族なんか置いてどこか行っちゃうのに。嬉しいので、「気になる先輩とLINEしてるんだけど、全然はっきりしないの。LINEがあんま来ないってことは、好きじゃない?忙しさとか心に恋が占める割合とかあるだろうけど、私に魅力があったら来るよね」と相談してみる。「難しー、個人差があることは。人のことは全て個人差はあるし。もう聞いちゃえば?好きか」と言ってくる、お姉ちゃんは高校というものの狭さをもう忘れているんだろう。「ほのめかしてるんだよ、こっちは。そういうとこ好きですーとか」「まあすごい好きなら言葉一つひとつに敏感になるはずだけど、敏感さだって人で違うもんね。手でも繋げば?手繋げば確実ってこともないけど」「確実なんて何もないよね、人とのことで」「恋愛が人とのことじゃなかったらなー、楽勝なんだけどなー」「お姉ちゃん、彼氏に言われて嫌だったセリフ何?」「野菜これだけ?かな。あっちの家で唐揚げ作ってあげて。いやエリンギも揚げたじゃんって」「そういう感じになってくるんだ」と私は笑う。「あなたの恋を占ってあげよう」とお姉ちゃんはスマホでタロット占いを探し、カードもこちらは選べずボタンのタッチだけで結果が出る、「要約すると、今この瞬間を楽しみなさいだって」と教えてくれて、要約したから味気ないのか、どうやってこういうのを自分だけに聞こえたお告げと信じるのか。みんな信じてもないことを、ただ参考にはしよう何でも自分の血肉になるだろうと思ってるのか。「それはそう」と私は言い、「それは本当にそう」とお姉ちゃんも言う。
 恋愛なんて、目の前に人を置くんだから、それは自分の姿形が気になる。鏡の前に立っているのと違って、鏡と違って、人は私に感想を持つ。お姉ちゃんがリビングを出て行ってお母さんが入ってくるので、寝転びながら顔を眺める。「何か粗探ししようとしてるでしょ」と、お母さんは笑いながら自分の顔を手で覆う。確かに見つめていると、目は何かを発見したくなってくる。「私もそういう感じで歳取るのかなって。若い時の方がやっぱり、外見の悩みはあった?」「子ども産んでから外見の悩みは少なくなったかもね。ただ顔の宛て先と悩める時間を失っただけかもね」とお母さんが答える。必要なものしか、人は欲しがらないだろうかと私は考えてみる、欲しがって手に入れられると思うものに限りがあるのか、近くのものしか目に入らないか、自分なんて一番近くて、見るに堪えないもしくは見えないか。「目の前の自分を気にしてほしいんだろうね、きちんと化粧しろとか言ってくる人は、自分の目が無視されてるみたいで嫌なんでしょう。でも娘の目って厳しいじゃない、私だってそう親を見てたし。だからそんなに今だって気は抜けないけど」とお母さんが言う。周りが味方ばかりだったら気にならないんだろう、家族が味方ってわけでもないだろうけど。
「でも恋人より娘の方が、甘めの評価をしてくれるでしょ。自分に跳ね返ってくるような気持ちでいるから」「外見が、ないように思える人と付き合ったらいいんじゃない?」「それって可能?見えてるのに、ないことにできる?それはお母さんはもう、お父さんとそういう関係じゃないからっていうか、超越してるんだろうけど。出会った頃をちゃんと思い出してみてよ」と私が言うとお母さんは、「まあ気にしてたけど。でも気にならなくなるよって今言ったって、信じないねえ。恋なんてお互いの好みの人に出会えればいいってだけなんだから、自分の体を連れて、見せながら旅して歩くしかないんじゃない、できるだけ人には話しかけるようにして」「そんな冒険みたいなことになってくるの?老いていく勇者の冒険」と言いつつ私は想像してみる、聞こえてくるお告げ、年長者からのアドバイスを拾いつつ、味方を増やし自分を開け放しながら歩く、荷も増え重要なのは歩くことただそれだけになってくる、姿形は私のただの、短い説明になるんだろう。
 公園を柵沿いに通り過ぎようとするとハルアの声がして、砂場で弟妹を遊ばせている、片耳にだけイヤホンをしている。後ろから驚かそうとしたけど、子どもを見守るために神経を尖らせてるのか、ハルアは私にすぐ気づく。「公園で立ち止まるとか久しぶり。子育てって童心にかえれるから良いんだね」と言うと、「子どもがいなくても、童心にくらいかえれるよ」とハルアは答える。子育ての美点を言ったつもりだったけど、私が言うことでもない。「子育てって、自分の人生の生き直しでもないみたいよ、私のママによると。子どもが喜んでたらそりゃ嬉しいけど、自分の子どもと自分の子ども時代は、関係ないみたい」とハルアが言い、語るほどに美点がなくなっていくなと思いながら、私は砂を混ぜる。子育てなんてぼんやりした憧れのまま突っ込んでいくのが正解で、細かくはっきりと考え出すとそう良いものでもないんだろうか、それは何でもそうか。「でも自分が子どもの頃してほしかったようなことを、自分が子どもにしてあげれば、頭の中で小さい頃の自分が微笑む気もしない?」とハルアが言う、鼻が正面に来る、ハルアは自分の鼻は好きだろうか、走っていく弟砂を食べる妹を見つめているから、自分の顔はないのと同じか、でも子どもたちを安心させるために、笑顔ではいて。
「私なら子どもに、聞かれなくても美容のこと教え過ぎちゃいそう、子ども産むか分かんないけど。それで子どもも顔に過敏になって、悪循環だよ」と私は言う。ハルアは笑って、弟があっちに駆けていくので追いかける、子どもによる話の中断が多いので、私はもう帰ろうかなとも思う、でもハルアの根気強さに、最後まで付き合わなきゃいけない気もしている。弟は何にでも触りにいく、触って初めて存在してると分かるんだろうか。ハルアが抱いて戻ってきて、「でも私は眉毛の整え方とか、ママに教えてもらえなかったから、小学生の時とか独学だったから、教えてもらいたかったよ。長い間T字剃刀で眉毛剃ってたよ。魚の骨抜きで脚の毛抜いてたし」とハルアはそのジェスチャーをする。「眉尻は無理じゃない?T字の横に、眉用の売ってたんじゃない?」「持ち前の器用さで。いや、T字も、当時のパパの使ってたから。売ってるとか分かんなかったから、毛抜きも。知らないものは、ないのと同じだから」と言うので二人で笑う。
 弟は器に入れては撒いて、砂を移動させている、少しの移動だ。この体はこれからどう成長していくのか、私には見当がつかない、ハルアのお父さんを見たことないから、ヒントも何もない、自分次第で大きく変わっていくだろうし。こんなに変わっていくものを私は気にしてと、今鏡なんかはないんだから、自分の顔も存在しないのだと思ってみる、一瞬ならそう思える。妹の腕が近くにあるので摑んでみる、驚いてこっちを向く、ごめんと離す、なぜ子どもの体なら無遠慮に摑んでいいと思ったんだろう。「何の話だっけ?子ども見ながらだと、言ってたこと忘れる。家でもママとそうなんだよ。話したかったことがあった、ってことだけ覚えてるんだよ。すぐ遮られてあっちの声も聞こえなくて、でも聞き返すほどのことでもないかと思って、全部そうなって」「T字剃刀の話がひと段落したところだよ」と私は大きく体でTとやって見せる、それでハルアが笑うので、体を持ってる甲斐ある。
「うちの親だって、私たちの話を上の空で聞いてるよ。子どもの話が別に娯楽でもないんだよ。真面目に聞いてくれても、その分真剣なアドバイスが来て、振り払いたくなるようなもんだよ」と私は言い、また弟がハルアの手を振り切って走る、姉は弟を追う。まあ親が子どもを見守るのは、それは娯楽なんかではないか、と私は思う。妹は砂場から動かないけど、ハルア一人で見ているのに二手に分かれられて、どうしようもなくないか。私が、体だけでもいて良かった、助けになってる。私は妹の顔を覗き込む、肌は子どもならではの滑らかさで、この後鏡で自分のなんて見るとがっかりするだろう。こういうのは好みの顔だなと私は思い、何でも好き嫌いで分けていき、自分を嫌いに分類して、それで死ぬまでそれと付き合っていこうというのだから、乗りかかった船、我慢比べ、と私は思ってみる。顔は庭みたいなもの、住んでしまって自分のではあって、飛んできた種子で思いもよらない草なんか生えて、暇あればある程度整えられ自然に左右されてと私は考える、素晴らしい庭なら客も入って声を上げるだろう、時が経ち枯れてはいくだろう。花の香がし、「においって、すぐ慣れちゃうからもったいないよね」と言ってみると妹は頷く、頷きだけで伝わっていると思ってみる、あちらが笑うのでこちらも笑う、思いのままにならない顔を、思うままに動かす。