断筆した佐藤愛子(草笛さん)のもとに、原稿を依頼したい編集者が贈り物を手に訪れる。その様子を見守る娘の響子(真矢さん)とのやりとりも楽しい/(c)2024映画「九十歳。何がめでたい」製作委員会 (c)佐藤愛子/小学館84

真矢 そういえば草笛さん、横浜出身ですよね。

草笛 「ハマのミツコ」よ。(笑)

真矢 6年ほど前に亡くなった私の母も、ハマっ子でした。横浜の元町あたりで育った、いわゆるお嬢様学校を出たような人で。ちょっと気質が草笛さんと似ているのと、生きていれば92ぐらいなので、よけいに草笛さんに「お母さん」を感じたのかもしれません。

草笛 そうだったのね。戦後、本牧のあたりは広大な敷地が接収されて米軍用の住宅になったでしょう。フェンスの向こうで外国人の子どもが遊んでいるけど、私たちはそこには入れない。それが悔しかったことも覚えてますね。

真矢 海外の文化が入ってくる場所ですし、横浜の人には港町特有のオープンさがありますよね。私の母はおっとりした人でしたけど、「私、やったげる!」みたいな世話好きなところもあって。

草笛 親切が、さらっとしてるのよね。

真矢 芸事が好きだった母は、いつか娘が生まれたらSKDか宝塚を受けさせたいわ、なんて語る女学生だったらしいです。元町の話もよくしてくれました。洒落てるのよって。

草笛 元町は私の遊び場でした。

真矢 それじゃあ、きっとどこかで母とすれ違っていますね! 草笛さんに感じる懐かしさの正体が、ようやくわかったような気がします。