現役時代は主砲として活躍、監督時代は選手育成にも貢献してきた高橋由伸さん。今の若い世代に合わせた指導法から、スポーツ界のデジタル化、そして地球温暖化対策まで話は広がって

遊びが原点、野球人生を歩み続けて

竹内高橋さんは、1997年に読売ジャイアンツに入団され、7度のゴールデングラブ賞受賞、2度のベストナイン受賞など輝かしい成績を残していらっしゃいます。2016年からの3年間は監督としてチームを率いて、若手の育成などにも貢献されました。今年、読売新聞スポーツアドバイザーに就任されましたが、どのような活動をなさっているのですか?

高橋 野球の振興業務や、プロ野球を含めたスポーツ全般への取り組みに関わらせていただいています。教える立場としては、子どもたち向けの野球教室を開いたりしてきましたが、今年、僕のようなプロ経験者が高校や大学で指導するために必要な「学生野球資格」の回復が認定されたので、高校生や大学生を指導できるようになりました。自分がやってきたことを学生野球でも伝えられればいいな、とお邪魔させてもらっています。今の若い世代は情報や知識が豊富。刺激を受けたり、新たに学んだりすることもあって楽しいんです。

竹内そもそも野球を始めたきっかけを教えていただけますか?

高橋父や母や兄と、家にあるバットとボールで遊んだのがきっかけです。小学4年生のとき、地域の少年野球チームに入って本格的にやるようになりました。振り返ってみると、家族との遊びの延長線上に、その後の野球人生があった、という感じがします。

竹内遊びが原点というのは、すごく重要ですね。私は小さなフリースクールを運営していますが、小学生にはとにかく「遊べ、遊べ」と言っているんですよ。遊びの中で好きなことを見つけたり、創意工夫したりできるわけですから。ところが最近は、子どもが遊べなくなっているのです。ほかにやることがたくさんあるようで。(笑)

高橋僕らが子どものころとは違いますね。スポーツといえば野球が一番身近な存在でしたし、あとは野山を走り回るぐらいしかすることがなかったですから。

竹内高橋さんは〝天才肌〟のイメージで、少年時代から頭角を現していたのではと想像します。

高橋そんなことはないんですよ。野球を始めて以降、高校、大学、プロとずっとレギュラーで試合に出させていただきましたが、自分なりに努力もしてきたんです。初めてベンチスタートを経験したのはプロ生活の晩年、怪我や年齢的な衰えで思うようなパフォーマンスが難しくなって。実はそういう状況になったら、自分は野球をやめるんだろうな、と思っていたんです。

竹内え、そうだったんですか。

高橋そのタイミングで偶然手にしたのが、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本でした。その言葉を「人にはそれぞれ働く場所がある。目の前の課題に取り組むことでまた違うステージに進むことができる」と解釈して、これからも自分にできることをしよう、という気持ちになれたのです。

竹内人生の転換期に大きな意味のある言葉に出合えたわけですね。

高橋そう思います。