両親と距離のある少女
花さんの父親である作家の武田泰淳さんに初めて会ったのは、僕が中央公論社の編集者だった1969年。文芸誌『海』で泰淳さんが「富士」の連載を始めるにあたり、編集担当となったことから、その後、たびたび武田家を訪れるようになりました。
初めて訪ねた頃、花さんは確か高校3年生だったと思います。立教女学院の寄宿舎に入っていたので、年中家にいたわけではないけれど、時々帰ってきていたんでしょうね。
飼われていない猫がすーっと入ってきて、また出ていくような感じで、目立たないお辞儀をして部屋を出ていく。その場の空気にあまり長く身を置きたくない多感な少女なんだな、という雰囲気でした。
武田家を訪れると、玄関の鉄の扉の内側にもうひとつ木の鎧戸のようなドアがあって、外扉を開けると泰淳夫人の百合子さんが、桟の隙間からじーっと見ている。そしてちょっと間を置いてから、「どうぞ……」。
今、それを思い出すと、なんとなく花さんがファインダーを覗いている時もそんな感じがあったのかな、という気がします。
百合子さんはカーッと照る太陽のような人ではあるけれど、猫が物陰からじーっと人を窺っているような一面もある。自分の出自に対して複雑な思いを抱えていただろうし、敗戦直後はかなり大変な思いもしたから、そういう空気感をまとったのかもしれません。
一方、泰淳さんは、戦争中に大陸で日本軍の軍人としての重く痛い経験を背負っていた。作品にもそれが色濃く反映しているし、人柄にもそうした影があります。そんな二人の間に不思議な引力が働いて、一緒になったわけです。
思春期の娘が、そこに馴染むのは難しかったのではないか。寄宿舎に入ったのは両親の意思だったようですが、それがよかったんじゃないかと思います。