そんなわけで、花さんとたまに会っても、ほとんど会話らしい会話を交わさなかったけど、どういう流れだったか、ある時、フォークシンガーの遠藤賢司の「ほんとだよ」という曲が入っているレコードを貸してくれた。
後に『富士』の中に、「ほんとうだよ、ほんとうだよ」と言いつのる人物が出てきたので、遠藤賢司の歌詞から取ったんだなと思った。当時すでに泰淳さんは作家としては大家でしたが、娘からそんな影響を受けたりもしていたんですね。
たぶん、百合子さんの感性からもかなり刺激を受けていたんじゃないでしょうか。
百合子さんは泰淳さんの没後、『富士日記』を上梓し、名随筆家として注目されるようになります。当時、世間の人は、作家である夫の影響で文章が磨かれたとか、さすが作家の奥さんだ、などと言ったものです。
でも、僕はそうは思わなかった。百合子さんがもともと持っていたものが、泰淳さんの死後、花開いたのだと思います。
『富士日記』に登場する「武田山荘」にも、何度かお邪魔しました。富士山が間近に見え、近くに大岡昇平さんの別荘もあったりするんだけど、山荘を建てる時に泰淳さんがこだわったのが、富士山を背にすることだった。
普通、目の前にバーンと富士山が見えるように建てますよね。でも、富士山の側に壁があるんです。これはどこか花さん的でもある――。やはり花さんは、二人のDNAを引き継いでいる気がします。