小説は“自分だけが世界を見ている”視点で書く

尾崎世界観さん
(c)文藝春秋

転売ヤーといえば、自分の本のサイン会にも来ることがあるようです。あるようです、というのは、直接「転売ヤーですか?」と聞いたことはないから(苦笑)。ただ、本当のファンの方だと、こちらに対する緊張や敬意を感じるからわかるんですが、転売ヤーはまったく興味がないからこそ自然体。本人を前にしても緊張すらしないんです。断言はできませんが、サイン会で目の前にそういう人が来て、多分そうだなと思いながら「宛て名は?」と聞くと、必ず「いらない」と言われる。転売する時は、為書きがあると邪魔になるんですよね。

登場人物には、転売ヤーのカリスマ・エセケンの他にも、カップル系転売ヤーのウリ☆モリ、売倍×カンガルーなどもいて。ちなみにウリ☆モリは、「売る」と「盛る」から名前を付けました。書きながら登場人物にその場で変な名前を付けるのが好きなんです。今回に限らず、あえてふざけているのがわかるような名前にすることが多いですね。そもそも自分の名前がふざけているので(笑)。小説の主人公の名前を決める時も、普通の名前にすることに照れがあるんです。なんか真面目に書こうとしているぞ、と自分で思ってしまって。だからいつも突っ込みどころのある名前を付けています。

登場人物の顔は、一切思い浮かべて書いていません。それはどの小説でも同じです。セリフも少ないし、自分の書き方の癖なんです。いずれ逆のこともやってみたいけれど、自分が普段見られている立場なので、仕事を通して小説を書く時はどうしても、誰にも見られないまま、“自分だけが世界を見ている”という視点で物語を書きたくなるんだと思います。

だから、主人公の以内右手はバンドを組んでいますが、他のメンバーはあまり出てきません。あえて詳しくメンバーを書かないことによって、関係が冷え切っているのかなとか、この主人公は必要なところしか見ない癖があるなとか、本当に見なきゃいけないことからいつも目を背けてしまう人間なんだなということが伝わるはずだと思いました。歌の歌詞と違って小説はいくらでも文字が書けます。だからこそ、「何を書かないか」がすごく大事だと思っています。