落ち込んだ時に「プロとしてやっている」と実感

歌詞も小説も自分から生まれる作品ですが、やっぱり違うものです。歌詞は、たとえ伝えたいことが全部言い切れていなくても、音に乗れば届いてしまうもので、そこに対する罪悪感もあります。まだちゃんと言いきれていないのに、伝わってしまっていると思うことがあるんですよね。でもだからこそ、言葉だけでは伝わりきらないものが、音を通して届く。一方で、小説を書く時は音がないので難しいですが、ミュージシャンだからこそ、そこにやりがいを感じています。

小説の題材は、誰かと話をしたり、何かを見たりした時、「なんかこの感じいいな」と思ったら、直接物語に影響がなさそうなものでも必ずメモして集めています。感情が動いたその波形というか、心に引っかかる何かは、きっといろいろなことに置きかえられると思うので。

ただ、歌でも小説でも、スランプに陥ることは必ずあります。プロとしてある一定のプレッシャーの中で活動していれば、失敗はつきものなんですよね。成功ばかりではなく、時にはミスすることも大事です。自分は、ある一定のプレッシャーの中で初めてミスをした時、「これでやっと一人前になった」と思いました。歌詞が飛んだり、演奏を間違えたり。落ち込んだ時にこそ「プロとしてやれているんだな」と実感します。

尾崎世界観さん
(c)文藝春秋

完璧なものを提供し続けられる、それができて当たり前だと期待される立場にあるからこそ、ミスを指摘される。そういう意味では、熱狂的なファンの方は何をしても「良い」と思ってくれるので、プロとしてステージに立っているはずなのに、急にアマチュアに引き戻される瞬間がある。そういったもどかしさも、この小説には書いています。だからといって、熱狂的になることを否定しているのではなく、そういう方々に助けられて今があるのを十分に理解した上で。