LINEで亡くなるまでを報告
悲しみを共有したいという思いは、無意識でも起こるものだ。
コロナ禍の時、友人から電話があり、「従弟が常識はずれで困った」と言うのだ。
友人は喘息があり、コロナになったら大変だと思い、外出を控えていた。ところが、親しくない従弟から電話があり、父親の自宅介護をしていて体調が思わしくなく、妹に会いたがっているから来てくれというのである。妹というのは私の友人の母親で、既に亡くなっており、その娘でもよいと従弟は思っているのだ。
友人は「叔父さんの家は遠いし、コロナが怖いので会いにいけない」と断った。
すると従弟は「亡くなったら知らせたいから、LINEを繋げたい」と言われた。
友人の嘆きの電話は、ここからが本題だった。
「LINEのメールを教えたら、連日、弱っていく叔父さんの画像が送られてきたの。親しい叔父さんなら知りたいけど、親しくないので参った。送らないでと言うのも冷たいみたいで。老衰で亡くなったところで画像は終わり。コロナ感染が怖いから葬儀に出席しなかったら、今度は詳細な葬儀の様子が動画できたのよ。その詳細さに参った」
驚きの連続で、叔父の死を悼む気持ちが薄れたそうである。