宝塚歌劇音楽学校の受験を決意

話を少しもどす。

静子が生まれた1914(大正3)年、宝塚少女歌劇第一回公演が、宝塚のプールを改造したパラダイス劇場で行われ、大変な評判となった。1919(大正8)年には宝塚音楽学校が設立され少女歌劇の時代が華やかに幕を開けたのである。

大正時代から昭和の初めにかけての関西は「道頓堀ジャズ」「少女歌劇」のブームが到来していたのである。1927(昭和2)年、宝塚少女歌劇では、日本初のレビュー「モン・パリ〜吾が巴里よ!〜」が上演された。

ヨーロッパのレビューを取り入れ、幕なし16場というスピーディなスタイルは観客にとっても新鮮で、ここから本格的なレビュー時代が幕を開いたのである。

この年、静子は尋常小学校を卒業、13歳となっていた。

担任の先生から「無理に上の学校は勧めない。器用だから芸をみっちり修業するのもいいし、記憶が良いから看護婦になるのもよかろう」と言われ、近所の人に宝塚歌劇の話を聞いてその気になり、うめの勧めで宝塚歌劇音楽学校を受験することを決めた。

※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。

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