国籍も立場も関係なく、本当に信頼できる人に託す

西村 アレクセイ・イリイン氏は、1991年8月、ゴルバチョフ大統領が軟禁されたクーデター騒動のさなか、佐藤さんにゴルバチョフの生存という世界に先駆けた極秘情報を流した元ソ連共産党中央委員、元ロシア共産党第二書記だね。

『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』(著:佐藤 優、西村 陽一/中央公論新社)

佐藤 保守派の重鎮だった彼には本当によくしてもらった。それにしても、日本―つまり西側、資本主義国の外交官、しかも三等書記官という下っ端に教えてくれるなんて、本来はありえない。私もなぜ教えてもらえたのかわからなかった。

事件からしばらく後、二人でウォトカのボトルを数本空けたあとで、思い切って尋ねてみたんだ。そこで言われたのがさっきの言葉。そして彼は、こうも続けた。「信奉しているイデオロギーはなんでもいい。けれど、信念を本当に大切にしている人と、信念を建前として使う人がいる。君は前者だから。うちの党にそういう人間がいなかったのが問題だった」と。

西村 イリイン氏は、その時点でクーデターは失敗するという予感があった?

佐藤 あった。もう先は見えていて、これはうまくいかない、と。だからこそ、自分たちがどういう思いでこのクーデターを起こしたのかを誰かに伝えておきたかった。けれどその状況下で、自分の周囲のロシア人の中には、話せる相手がいなかったんだ、と言っていた。

西村 佐藤さんは、そのときなぜ自分が選ばれたのかはわからなかった?

佐藤 全くわからなかった。大混乱のクーデターのさなかだよ。会えるようになったらいつでも連絡をくださいと伝言はしたけれど、翌日に秘書から電話が来てびっくりしたんだ。まさか会えるとも思っていなかった。

西村 そういうものなのかもしれないね。のるかそるか、生きるか死ぬか、本当に切羽詰まったときには、国籍も立場も関係なく、個人として、人間として本当に信頼できる人に歴史の真実を話したくなるということだね。

佐藤 そのあたりは計算を超えたものがあるよね。