幸か不幸か、組織に勤めぬ私のような商売の人間には定年がない。強制的に区切りをつけてもらう機会がない。だから、いくつになろうと意欲さえあれば仕事を続けられる。それは有り難いことと受け止めるけれど、自ら引退宣言をしないと、他人に迷惑をかけることになりかねない。
「アガワさん、言ってることもやってることもボケてきたけれど、やる気だけあるから困るよねえ。誰かが鈴をつけないと、あの人、仕事辞めないよ」なんて陰で囁かれるのも嫌だ。さりとて早々に引退して、その後やたらに長生きしてしまったら、それはそれで厄介だろう。
父は九十歳を前にして断筆した。長く続けていた連載を打ち切り、「もう書かない」と宣言した。苦渋の決断かというと、そうでもなく、案外、あっさりしたものだった。
「書けばいいのに。老人の愚痴でも世間に対する腹立ちでも、普段、ウチでさんざん吐いているのだから、そんな話題を気楽に書けば、共感してくれる読者もいると思いますけどねえ」
さりげなく説得してみたが、思いのほか、父の決心は固かった。しかし家族としてはやや心配だった。生涯のほとんどを原稿用紙に向かう時間に費やしていた父が、その生活を突如として止めてしまったら、たちまちボケるのではないか。あるいは生きる気力を失って急激に老いるのではないか。
ところが父にはそういう兆候はさして見当たらなかった。もちろん年齢なりの老いはあったが、余った時間で読書をしたり好きな麻雀に興じたりして、「旨いものを食いたい」欲と、家族の前で不機嫌になる体力は相変わらず旺盛だった。
そんな隠居生活を四年あまり続けた末、大病に罹ることも認知症状を起こすこともなく、九十四歳にして老衰で亡くなった。今思えば、父が仕事を辞めたタイミングはなかなか絶妙だったように思われる。
父の晩年がそうだったからといって、娘も首尾良くいくとはかぎらない。まして、父のように直前まで頭がしっかりしている自信はさらにない。むしろ母同様、認知症になる確率のほうがはるかに高いと思われる。ならばどんな高齢者時代を設計すればいいだろうと、ときどきそんな不安が頭をよぎるのだが、実際のところは原稿の締め切りやインタビューの準備に追われて日々をあたふたしのぎ、そしてまた今年が終わろうとしている。
知り合いの知り合いの、つまり見知らぬ男性の話だが、その人、会社を定年退職したのち、道路工事現場での交通誘導員の職に就いたという。ヘルメットをかぶり、旗や誘導棒を手に自動車の通行を整理する係のことである。その噂を耳にした友人たちが同情した。気の毒に。さぞやつらい思いをしていることだろう。ところが本人は、いたって元気に答えたそうだ。
「会社じゃ誰も自分の言うことを聞いてくれなかったが、今は俺の意のままだ。『止まれ!』と言えば車は止まる。『行け』と合図すれば発進する。こんな気持のいいことがあるものか!」
ポジティブとは、もしかして、本人ちっともポジティブと自覚していない生き方のことを言うのか。自覚なきポジティブ老後はなかなか悪くない。
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65歳、「高齢者」の仲間入りをしてからの、身の回り、体調、容姿、心境の変化とは----。
多忙な毎日に、じわじわと、あるいは突如として現れる老いの自覚。ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を綴る。
『いい女、ふだんブッ散らかしており』につづく、『婦人公論』人気連載エッセイの書籍化第2弾。