撮影:清水朝子
本日、NHKの番組『ファミリーヒストリー』に出演する阿川佐和子さん。65歳、世に言う「高齢者」となった阿川さんが、ときに強気に、ときに弱気に、老化と格闘する日々を、新刊エッセイ『老人初心者の覚悟』(中央公論新社・刊)に綴っています。その中から、「新任高齢者のツイート」と題した珠玉の一篇を配信します

新任高齢者のツイート

いよいよ高齢者の仲間入りをした。人呼んで前期高齢者。だからなんだという感慨は別にないけれど、あと何年ぐらいこうして万事おおかた滞りなく日々を暮らしていけるだろうかと、ふと思う。十年後には七十五歳。その名称が残っているとするならば、後期高齢者に突入する。十年なんてあっという間だ。十年前に何をしていたかを思い出すと、時の流れの速さを実感せざるをえない。

そもそも高齢者を「前期」とか「後期」とか、誰が二分割したんだ? 「前期」には、「そろそろ身の回りを整理して、終活を始めてくださいね」、さらに「後期」という言葉には、「まもなくお迎えがきますよぉ。準備はよろしゅうございますか」という囁きが込められているように聞こえるではないか。

「老人初心者の覚悟」(阿川佐和子:著/中央公論新社)

そんな呼称をつけておきながら、一方で国は「人生百年時代到来」を唱え、「もっと働いてください」と言い出した。どっちなんだ。長生きはめでたいのか、それともお荷物なのか。もはや全人口の三分の一に近づきつつあるという高齢者(六十五歳以上)は皆、引退したほうがいいか、はたまた老体に鞭打って第二の人生を模索するか、鈍り始めた頭と身体でよれよれ迷っておりますぞ。

十年後、いったい私はどれだけ背筋を伸ばして歩き回り、人の話が耳に届き、たまに好きなゴルフをして、とりあえず台所に立って料理をしたり、テレビ画面に向かって、「くだらん!」と悪態をついたり、夕方になるとビールを飲みたくなったり、おいしいものを「おいしいぞ」と言いながら食べたりしていられるだろうか。

すでにけっこうな腰痛持ちである。朝、ベッドから起き上がるとき、「イテテテ」と言わずに立つことができない。洗顔の際、前屈みになって両手に水をすくってゆすごうとする、その姿勢がまた「イテテテテ」である。

すでに耳が遠い。補聴器が必要なほどではないが、頻繁に人の言葉を聞き間違える。どんな聞き間違えをしたかと、ここで気の利いた例を挙げたいところだが、とんと思い出せない。

先日、ゴルフ場で久しぶりに会った友人に、「アガワ、耳、遠くなった?」と鋭く指摘され、「そうなのよ」と応えながら、「こんな聴力でインタビューの仕事を続けていいものか?」と心中で自問し、かすかに動揺した。動揺したことは覚えている。でも、どういう聞き間違えをしたかは思い出せない。って、さっき書いたね。

だからすでに記憶力にも自信がない。耳が遠くなり、記憶力が低下して、いつまで仕事を続けられるだろう。いや、続けていいのか悪いのか。その引き際を潔く自分で定められるかどうか。それが心配だ。