まひろは「完全なる父親越え」
━━まひろが学問の面白さを知ってしまい、女性として別の幸せがあるのではないかと為時は思ったと思います。
たとえば、オリンピックの選手を育てた親がいるとして、その道を選んで良かったのか?と思う時があると思います。その途中で怪我をして終わるという選手もいます。為時はまひろに文学の才能を目覚めさせたという責務が付いて回る。平安時代なら、学問も才能もなく、妻となり、普通の女性の世界にいた方がよいと思うこともあったでしょう。『源氏物語』のような大作を書くとは思わずにね。
まひろは「学問で不幸になったことはございません」と言います。為時が何かひとつ教えると、まひろはどんどん吸収し、文学の中でその才能を発揮していく。まひろの想像力の花が開いていく。為時にはできないことで、まひろは「完全なる父親越え」ですね。
為時は、これで良かったと天国で思っていると思いますよ。娘は1000年以上も読まれてきた物語の作者なのですから。
━━為時はどんな気持ちで『源氏物語』を読んだと思いますか。
子どもには出世して欲しい、大きな存在になって欲しいというのが親心です。『源氏物語』が評判になるのは嬉しいですが、こういうことを書けるということは、娘がそういう内面を持っていて、そういう経験をしているのだろうと思う。まひろが内裏に上がる若い頃に大胆なことを書くと、娘がそんな経験をしているのかと思い、父親としては読みたくなくなります。男女のことが物語にあるので、父親としてはドキドキして不安になりますよ。
それをじっくり読めるようになるのは、まひろの髪に白髪が混じるような頃で、のちのことじゃないですかね。父親が『源氏物語』を、「よくぞ書いた!」と両手ばなしで喜んで認められるのには、時間が助けてくれるのでしょうね。
━━『源氏物語』が評判になり、親子の関係は変化したと思いますか。
まひろがすごく遠くに行ってしまった感覚はありますね。下級貴族のために、床を歩くと足が汚れる貧しい為時邸に、内裏からまひろが帰って来た時は、手の届かないところに行ってしまったのだから、ただ応援するしかないと思った。
私は「この役は自分にできるか?」と、いつも考えています。為時の役をする時も、できる娘を持った父親の心境はどうだろうか?と考えました。娘を誇らしく思う気持ちがあっても、寂しさはあると思いました。そして、為時の妻のちやは(国仲涼子さん)が早くに亡くなっている(第1回で藤原道兼 〈演・玉置玲央さん〉に殺される)ので、妻が生きていたらお酒を飲みながら、夫婦でどんな話をしたのか?と想像してみました。