10日ほど連勤しまして
人慣れしていないムスメは、10日ほどお仕えして実家へ帰りました。
物語では、のぞき見こそ恋のはじまりだったりするのに…。
実際は、現実と物語は違うのか…。
十月(かみなづき)になりて京にうつろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、方(かた)ことに住みはなれてあり。父(てて)は、ただわれをおとなにし据ゑて、われは世にも出いで交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく、心ぼそくおぼゆるに、きこしめすゆかりある所に、「なにとなくつれづれに心ぼそくてあらむよりは」と召すを、古代(こだい)の親は、宮仕(みやづか)へ人(びと)はいと憂きことなりと思ひて、過(す)ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそは出でたて。さてもおのづからよきためしもあり。さてもこころみよ」と言ふ人々ありて、しぶしぶに出だしたてらる。[四九 母の出家、父の隠遁 より]
まづ一夜(ひとよ)参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き掻練(かいねり)を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類(るい)、親族(しぞく)などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出(い)づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。里びたる心地には、なかなか、定まりたらむ里住みよりは、をかしきことをも見聞きて、心もなぐさみやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれ、と思へど、いかがせむ。[五〇 初出仕 より]
十二月(しはす)になりて、また参る。局(つぼね)してこのたびは日ごろさぶらふ。上には時々、夜々(よるよる)も上(のぼ)りて、知らぬ人の中にうち臥(ふ)して、つゆまどろまれず、恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深(よぶか)く下(お)りて、日ぐらし、父(てて)の、老いおとろへて、われをことしも頼もしからむかげのやうに思ひ頼み向かひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみおぼゆ。母亡くなりにし姪(めひ)どもも、生(む)まれしより一つにて、夜は左右(ひだりみぎ)に臥し起きするも、あはれに思ひ出(い)でられなどして、心もそらにながめ暮らさる。立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし。[五一 十二月の出仕 より]
十日ばかりありて、まかでたれば、父母(ててはは)、炭櫃(すびつ)に火などおこして待ちゐたりけり。車より降(お)りたるをうち見て、「おはする時こそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前に人影も見えず、いと心ぼそくわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をばいかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲し。<以下略>[五二 里の父母 より]
※本稿は『胸はしる 更級日記』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『胸はしる 更級日記』(著:小迎裕美子/KADOKAWA)
夢見る少女時代から、後悔と懺悔の日々の晩年までを綴った平安女子の回想録
『源氏物語』にあこがれて、キラキラとしたヲタ活に勤しんだ10代から、大人になるにつれ経験していく、大切な人の死、仕事、結婚、家族などの現実、そして後悔と懺悔の日々を送る晩年までを綴った、菅原孝標女の『更級日記』。この名著を、人気イラストレーター小迎裕美子がユーモアたっぷりに描く。