『笑う森』(著:荻原浩/新潮社)

【選評】

「篤実」 浅田次郎


作家の人柄は作品に表れるという。

正しくは真摯に自身と対峙し続けた人が作家として残るのであろう。まさしく文は人なりである。

荻原浩氏をよく知るわけではないが、作品は好んで読ませていただいているから、多年の知己のような気がする。温厚篤実で衒いのない人である。

ところで、ふつうそうした人物は話がつまらないはずなのだが、この人の小説は面白い。面白いというのは筋立てのみならず、人物造形が確かで背景も美しく、かつテーマとなる社会的訴求力を兼ね備えているという意味である。

果てなき樹海の中で、迷子が多くの人々に出会った奇跡。しかし誰も保護してくれなかった不運。小説のグランドデザインはそれである。しかるにこれを現代社会そのものになぞらえるのは早計で、むしろ「人間も天然の一部分」と解釈するのが適切であろう。よってさきのグランドデザインには、天然の森と同様に必然と偶然が交錯して形をなす、という精妙なストーリーが加わる。

このように考えると、作者が『笑う森』を書くにあたってのご苦労は察するに余りある。登場人物がそれぞれに抱える不幸の諸相を書き分けるのは難しい。まして実は迷える子羊である彼らを導く少年は障害児である。

こうした創作上の困難をそうと見せずに克服しえたのは、ひとえに作者の篤実さであろう。実に文は人である。
 

 

「大きな謎に挑戦した」 鹿島茂


樹海のような森でASDの五歳児・真人が行方不明になり、母親であるシングルマザーがSNSで激しいバッシングにさらされる。七日後、真人は無事、消防団員に発見されるが、「クマさんが助けてくれた」としか言わない。果たして真人は森の中でなにに出会い、どうやって一週間を生き抜いたのか?

これが荻原浩さんが自らに設定した「解かれるべき謎」ですが、おそらく、荻原さんは謎の中に謎があり謎の外にも謎があるというこの物語の構造に魅せられたのではないでしょうか? すなわち、人の心、言語や記憶、また善意やエゴイズムといった大きな謎が入れ子構造になっているために、より大きな謎に挑戦してみたくなったにちがいありません。

謎解きの探偵役を務めるのは真人の叔父に当たるですが、手掛かりとなるのはASDの真人の発する不可解な歌詞やCMの断片だけです。冬也は謎を探るべく森の中に入っていき、真人が出会ったとおぼしき数人を突きとめますが、そこから別の問題があらわれます。森で真人と出会い、置き去りにした人たちの心が問題となるからです。

しかし、これらの謎が作者の手ですべて解かれたあとも大きな謎が残されています。森そのものがASD児と「心の会話」を交わしたとしか考えられないということです。

この意味で『笑う森』というのは作品全体を見事に象徴したタイトルなのではないでしょうか?