「現代を燻り出す」 林真理子
荻原浩さんの『笑う森』を非常に面白く読んだ。
サスペンス小説の形をとりながら、さまざまな人間を浮かび上がらせている。発達障害のある五歳の幼児が、どうして暗黒の森を生きのびることが出来るか、というテーマは、
「いかに人は、この複雑な時代を生きのびていくのか」
という問題にゆきつこうとしているのではないか。
幼児が森で出会う四人の大人は、自らの悩みを抱え、すぐに幼児を救い出すことはしない。ヤクザの男がいちばん誠実で、自分の命を懸けて幼児を救い出そうとしているのであるが、あとの三人は目先のことしか考えず、通報もしないで食べ物を与えるだけだ。特にユーチューバーの男の自分勝手さは、空怖しくなるほどで到底受け容れられるものではなかった。
自殺願望を持つ女性の行動も奇異にうつる。
が、こうしたエゴイズムも含めて、作者は現代を燻り出そうとしているようである。後半のSNSの投稿犯人を探し出すくだりは、ややドタバタの感を持つが、このシーンは冒頭のユーチューバーと呼応している。激しい自己承認欲求は、何も語らない無垢の幼児と実に対照的だ。
森の描写が素晴らしく、読んでいると漆黒の闇や動物の息づかいも聞こえるようだ。この中をさまよう幼児は、出会う大人たちの人生を変え、希望を与えていく。この構成は見事だ。
「優しい豪腕」 村山由佳
荻原浩という作家は、読者を引きずり込む天才だと思っている。
森の中で子どもが行方不明になる。ほんの一瞬目を離した咎で、保護者が世間から糾弾される……とくれば、現実に起こった近年の事件を思い起こす人も多いだろう。
この物語では、保護者はシングルマザー、いなくなった子どもはASD児であったので、さては子育てが重荷になった母親がわざと子どもを置き去りにしたのでは、などという憶測が飛び交い始め、身元は晒し上げられ、誹謗中傷はエスカレートし、その果てに──。
題材としては決して明るい話ではない。自分だけ安全なところからものを言う、顔のない何者かによる攻撃。〈善人〉の皮をかぶった誰かが自信たっぷりにふりかざす正義。真夜中の森よりもなお黒々とした現代社会の闇、魂の暗がりを、事細かに書き立ててゆけばまるで別の小説になっていただろうし、むしろそのほうが簡単だったかもしれない。
けれども荻原浩はそうはしないのだ。子どもも、その母親も見捨てない。子どもが森で出会う人々はそれぞれ不完全でとことん手前勝手なのに、そんな彼らですら見捨てない。それでいて、風呂敷を畳む手つきがご都合主義に陥らないとなれば、これはもう、優しい豪腕としか言いようがない。
ラスト近く、あるものが「子かもしれないものを抱」く場面の描写は、泣きたくなるほど美しかった。生命へのこの肯定こそ、荻原浩の作品が熱い支持を受ける所以であろう。
荻原さん、ご受賞おめでとうございます。