『大阪』著◎岸 政彦・柴崎友香 河出書房新社 1870円

 

「やってきた人」と「出ていった人」による共著

1987 年に大学進学のために大阪にやってきて、以来住み続けている岸政彦。大阪で生まれ育ち、働き、2005年から東京で生活するようになった柴崎友香。『大阪』はこの「やってきた人」と「出ていった人」による共著です。

ここ大阪で子をなしていたらと想像する岸さん。生まれ育った大正区での記憶を懐かしみつつ、しかし〈「大阪」について、わたしはとても狭い範囲のことしか知らない。大阪も、他の場所も、知らないところ、想像し足りないところばかりだ〉と襟を正す柴崎さん。

最初に来た場所である淀川の河川敷への愛着を語り、大阪の「自由」を称揚しながらも、自由であることの過酷さを見据える岸さん。大阪でしか見られないテレビ番組を思い出しながら、東京以外の場所で生まれた文化が語られないことを憂える柴崎さん。

ある商店街で起きた出来事を語り起こすことで、大阪の街の再開発の現状をリポートする岸さん。自転車で遊びに行った難波や心斎橋、学校へ行くことが苦しくなり、早退しては何時間も乗って時間をやり過ごした大阪環状線、初めて一人で歩いた街・梅田といった中学時代の思い出を綴る柴崎さん。

被差別部落に調査に入った経験を踏まえ、大阪は〈いろんな人びとを受け入れる、懐の深い、多様性を大事にする街〉である一方、根強い差別意識が残る街でもあることを記す岸さん。両親とのこじれていく関係に悩みながらも、映画や音楽や漫画や小説といった文化を浴び、得がたい友人と遊んだ高校の3年間を述懐する柴崎さん。

ジャズミュージシャンになりたかった大学時代、大学院に落ち肉体労働をしていた頃のことを阪神大震災を軸に語り起こし、その後きらびやかさを失った大阪は自分が青春を送った〈あの大阪〉ではないと思い至る岸さん。暮らすようになって15年の間に様変わりしていった東京の風景、ステレオタイプで語られる大阪人、大阪の中にも地域によって存在する差異、〈東京と「それ以外」になった社会〉への違和感など、さまざまな問いに思いを巡らせる柴崎さん。

夜、ほとんど縁がない東日本をGoogleマップのストリートビューで眺めて、そこに点在するスナックに思いを馳せる岸さん。心斎橋の会社に勤め、18時に退社した後は毎日のようにどこかに寄り道し歩いた頃の思い出と、大学で人文地理学を学んだ経験によって、〈何十年も前の人が将来を見越して作った道路と地下鉄と駅。その「将来」を、わたしは生きているのだと思うと、ますます、自分はこの街によって育てられている気がした〉と実感し、〈ここを歩いているわたしと、いつかここを歩いていた誰かが、会うことはないけれど、確かに同じ場所にいる、その感覚を〉小説に書きたいと思った、かつての柴崎さん。

街というものが為政者や金持ちが利用する道具ではなく、どうにかこうにか毎日を生きている生活者のための大切な居場所であることを、2人の異なる個性の書き手がさまざまな切り口と語り口で描いて見事な随筆集なのです。文士たちによる紀行文『日本八景』や、大勢の書き手が関東大震災後の復興する東京の姿をリポートした『大東京繁昌記』(共に平凡社ライブラリー)のように資料的価値も十二分にあります。すなわち、名著。大阪に縁のない人の胸にも響く1冊です。