『羊は安らかに草を食み』著◎宇佐美まこと 祥伝社 1870円

満州から引き揚げ、生き抜いた少女の秘密

胸がしめつけられる、というのは、まさにこういうことなのだろう。そんな実感、体感をもたらしてくれる老境小説、戦争ミステリー、人間ドラマの秀作である。

主な登場人物は益恵 、アイ、富士子、俳句教室で知り合った3人の老女たちだ。ある日アイと富士子は、益恵の夫から、認知症の症状が進行した妻と一緒に、過去を辿る旅に行ってほしいと頼まれる。3人は益恵の人生を遡るように、かつて住んでいた土地を辿り、益恵の知人を訪ねる旅に出るのだ。そして物語は、パズルのピースを埋めるように展開する。戦後、満州から引き揚げてきた益恵の凄絶な過去が明らかになっていくのだ。

俳句の背景と旅、過去と現在が交錯しながら描かれるのは、満州で孤児となった11歳の益恵が体験した地獄のような日々だ。途中ハルピンで出会った同い年の佳代と手を取り合い、過酷な生死の境を潜り抜けていく。少女たちが見た惨状が、まるで目の前で起こっているように克明かつリアルに描かれるのだ。それはぼんやりした時間が流れる益恵の今と対照的である。その描きわけに作者の高度な筆力、並々ならぬ思いが感じられた。

益恵が佳代と再会し、彼女たちが交わした秘密の約束の真相が明らかになるとき、どうか2人の余生が穏やかなものであってほしいと心から願わずにはいられない。

旅の終わりの島の教会で、老女たちはパイプオルガンが奏でる「羊は安らかに草を食み」に聴き入る。富士子が語る「別れる辛さを思うより、この世で出会えたことを喜びましょう」というセリフとともに表題に還るとき、読書時間が「祈り」そのものだったことに気づき、また胸がしめつけられるのだ。