まだ10代の製糸工場に勤める少女たち
映画はまず鹿鳴館でのダンスシーンで始まる。日本が欧米化と発展を目指し、華族や貴族などが競って絹のドレスをまとい、慣れないダンスを踊った。華やかなその衣装や日本の国際競争力を支えたのが、まだ10代の製糸工場に勤める少女たちだ。冒頭の華やかなシーンが、少女たちの雪山越えのシーンに変わる。彼女たちは絹を紡いだが、絹を着ることはなかったろう。木綿か紬の労働着で糸を紡いだ。
15歳になるかならぬの、当時の自分より幼い少女たちが列をなし、雪深い野麦峠を越えていくシーンに私は、まず衝撃を受けた。
「雪なのに、裸足に草鞋の子までいるよ」
呟く私に、隣で画面を見ていた祖母が言った。
「昔は、あんなこと普通だっただよ。みんな貧乏で、足袋なんか買えねえ。第一足袋なんか雪の中では水浸しで役に立たねえだ」
「だって長靴をはけば…」
「そんなもの、庶民が買えるもんか」
明治生まれの祖母の話を、私はおとぎ話のように聞いた。昭和生まれの私が物心ついたときには洗濯機もテレビも家にあった。祖母の生家には、裸電球さえなかったという。洗濯は川か井戸の水。お風呂も薪で沸かす。薪をとってきて割り野良仕事、夕食の支度をすれば1日が終わる。「昔は女は15歳かそこらで嫁に行って何人も子ども産んで。気が付いたら歯が抜けて、50歳前で死ぬ人も多かった。でもそれが当たり前だからな。不満なんかなかっただ」