こういう時代を経てきたことは、忘れてはならない

現代においてはそれが行き過ぎている部分もあるが、こういう時代を経てきたことは、忘れてはならないだろう。そのほかにも手先が不器用で働いても罰金ばかりが増え、湖に身を投げる娘。盗みの嫌疑をかけられた番頭と心中してしまう娘…。やがて大竹しのぶ演じるみねもついに結核に侵されるのだ。

この時、みねの父親さえも娘を搾取する側に回る様は見ていて本当に切なくなる。「うちの娘は百円工女様だ」と舞い上がって働かなくなり、大酒を飲むようになって、一度は年季の明けるみねに「もう一度糸取りに行ってくれ」と求める。このときみねが拒否すれば、死ぬこともなかったろう。唯一兄の辰次郎(地井武男)だけが、再度の奉公に反対するが、みねは「これが最後だから」と、家計のために再度野麦峠を超える。

みねがやがて結核を患い、汚れたもののように隔離され、兄の辰次郎に背負われて飛騨に向かうシーンは涙なしには見られない。大竹しのぶはこのみね役の鮮烈なデビューから、一気に大女優への道を駆け上るが、峠から「飛騨が見える。飛騨に帰りてえ」とつぶやき絶命する演技を見て泣かなかった日本人はいないだろう。多くの名女優を輩出したことでもこの映画は特筆される。

みねのなきがらに死化粧を施しながら、峠の茶屋の婆様が言う。「谷底から這い上がった新子は長生きするっていったのを覚えてるか?お前は長生きするはずだっただぞ…」

この婆様を演じる北林谷栄、糸取り工場の社長として人間のいやらしさを全開に演じた三國連太郎の振り切った演技、娘を死に追いやる教養のない父親を演じた西村晃など、脇を固める俳優陣も一級の名作。

今、日本は経済は沈滞しているが、基本的な生活は豊かだ。どの家にもエアコンがあり、お湯が出る。安全な水も飲め、望めば最低でも中学、普通は高校までの教育はほぼ保証されている。しかし人々の絆は薄れ、強さや優しさは失われているように感じる。そして、豊かになったその先の指標を失い、今日本は漂流船のように大海原を揺蕩っている。

私達は、今こそこの映画を見て、何も持たなかった時代にどんなふうに人が生きたのか。豊かになっていく途中で私たちが失ったものは何なのか、知るべきじゃないだろうか。この新年、これから雪も降る極寒のこの時に、是非若い世代と『あゝ野麦峠』をみてほしい。私達も、若い人たちも、それぞれに「何か」を感じる映画だと太鼓判を押したい。