延命治療はいらない。お葬式も戒名もいらない

 私が人生の幕の下ろし方について親と話し合おうと思ったのは、骨髄バンクの普及活動を27年間続けてきたからです。赤ちゃんであろうが、6人のお子さんがいるお父さんであろうが、難病の方が天国に召されていくのを見てきて、終活とは本人が死に向かっていくため、遺族のため、その両方だと思いました。それである日、両親に「どういうふうに死にたいの?」と声をかけたんです。

島田 どんな場所で、どんな雰囲気で話したのですか?

 お天気のいい日の昼間、光が差すリビングルームで、おいしいスイーツを食べながら(笑)。すると、だんだん冗談みたいな感じで話せるようになるんですよ。夜話すのはダメ。「自分もいつか死んじゃうんだ」と、悲しくなってきますから。

酒井 ご両親はすんなり答えてくれましたか?

 母からは、「縁起でもない」と怒られました(笑)。私は死について語ることは、結局はどう生きるかについて語ることにつながっていると思っています。そう話したら、両親も理解してくれて。もし末期がんになったらホスピスに行くのかとか、延命治療はどうするのか、お葬式はどんなふうにするのか、死後献体などについても話し合いました。

酒井 かなり具体的ですね。

 いえいえ、まだまだ甘かった。父は50歳になるちょっと前から肝硬変で入退院を繰り返していたので、ある程度、考えていたんでしょう。すぐに「植物状態になったらもう僕ではないから、延命治療はいらない。お葬式も戒名もいらない。骨は海に撒いてくれ」と言いました。でも今から22年前ですが、62歳で亡くなるとは思っていなくて。

酒井 実際には、お父様の希望通りになさったんですか?

 それがねぇ……。なぜお葬式やお墓は必要ないと言ったのか。その「なぜ」をちゃんと聞いておかなかったので。家族に迷惑がかかると思って気を使ったんじゃないかとか、いろいろ考え始めて、迷ってしまった。

それにお葬式をしないとなると、友人知人にどう知らせるか。それで家族で話し合って、私たち遺族の心の整理のために、葬儀はやりましょう、ということになったんです。

島田 戒名はどうしたのですか?

 結局、つけちゃいました(笑)。そのときの反省もあって、母からはより具体的に話を聞きました。母は、「葬儀は華やかに。音楽も賑やかにして、棺桶に入れるお花も色とりどりにしてほしい。泣かないで、『あの人、おもしろかったわよね』と言ってほしい」と私に託しました。

酒井 そういう話をして、親子の関係は変わりましたか?

 わりとなんでも話せるようになりましたし、母自身かなり変わりました。今80歳ですけど、来年、ピースボートに参加して世界旅行に出かけるそうです。そのために人工股関節手術を受ける決心もした。

痛みのせいで外出に消極的になっていたけれど、旅に出たいからって。あと何年、自分は楽しめるんだろうとポジティブに考え始めた。それが母にとっての終活なんですね。

島田 僕のまわりにも、股関節の手術を受けた女性が何人かいます。実は股関節の手術というのは、人によっては終活の根幹にかかわることでもあるのです。

 どういうことですか?

島田 人工関節は耐久年数が約20年と言われており、永久に使えるわけではない。でも80歳の今だったら体力的に手術に耐えられるし、100歳まで生きても人工関節がもつ。そんなふうに、残りの人生のスケジュールを計算するんじゃないでしょうか。