父の死を通して意思を伝える大切さを実感したという東ちづるさん。両親と兄に先立たれ家族でひとり残された酒井順子さん。変化する死のあり方と看取りのリアルについて、宗教学者の島田裕巳さんと語り合いました。前編は、人生の幕の下ろし方について親と話す大切さについてです。(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部)
いつまで生きるかわからないから難しい
島田 「終活」という言葉が使われるようになったのは、2009年頃から。就職活動を意味する「就活」から連想されたものだと思われます。
酒井 私の父方の祖母は99歳、母方の祖母は101歳まで生きました。両方の祖母とも、子や孫と一緒に住んでいたので、自宅で自然に看取られまして。まだ「終活」という言葉がない時代だったからこそ、安心して長生きができたのかもしれません。
島田 戦後すぐは、平均寿命がせいぜい50歳くらい。乳幼児死亡率も高かったし、若くして亡くなる方も多かったから、みな「人間いつ死ぬかわからない」という感覚を持っていた。
ところが今や、80代、90代まで生きるのはあたりまえ。つまり長生きすることが前提で、その結果、死から逆算して、それまでどう生きようかと考え方が変わってきた。残りの人生のスケジュールをいかにこなしていくかというなかで、終活という考え方が生まれたのでしょう。
東 なにせ人生100年時代ですから。
酒井 いつまで生きるかわからないのが、終活の難しさですね。だから、最近では“終活疲れ”してしまう人も多いと聞きます。
島田 僕は数年前まで、自然葬(散骨)を進める「葬送の自由をすすめる会」の会長をしていました。その時、会員から「脱会したい」という電話がきて。理由が、「もう歳をとったから」と。
東 どういう意味ですか?
島田 60代、70代で入会し、終活に積極的だった人も、80代、90代と年齢がいくと、終活にかえって消極的になります。
東 確かにある程度元気でないと、死について考えることはできないですよね。
酒井 寝たきりの状態では、エンディングノートも書けないですし。