「面白い大人」に会わせてくれた

振り返ってみれば、こんな両親のもとに生まれ育って、よくグレなかったと思います(笑)。父も母もあまりにも激しかったので、それが反面教師になったのでしょう。性格も、どちらにも似ませんでした。ただ、人と対話をすることで自分自身を整えていこうとするところは母と似ています。エッセイや翻訳のお仕事もしていますが、私の人生のテーマは人と対話をすること。実際に、20代の頃から現在に至るまで、対談のお仕事を多くさせていただいています。

実は私は、母が『婦人公論』の対談連載をしていたときにお腹にいました。もしかしたら、さまざまなお相手と丁々発止のやりとりをする母の声が胎教になっていたのかも(笑)。幼い頃から、母に「面白い大人に会っておきなさい」と、魅力的な人たちにたくさん会わせてもらったことも影響しているのだと思います。

そういう点では、父も同じです。私が母の対談集に登場するお相手で唯一お会いしたことがある故・五代目中村勘九郎さん(十八代目中村勘三郎)は、「最高に面白い人がいるから、ちょっと来い!」と、いきなり父から電話で呼び出され、私が20代の頃に飯倉の「キャンティ」というお店でお目にかかったんですよ。そういえば、夫と出会ったのも、父がプロデュースした映画の打ち上げの場に「今すぐ来い!」と、呼び出されたときでした。

そう考えると、母と父が遺してくれたものは今でも私のなかで脈々と息づいています。「もう一度、この両親のもとに生まれたいか?」と、神様に聞かれたら遠慮したいけど(笑)、今日の私があるのはやっぱり両親のおかげなのでしょう。